さて、続いて名誉について考察していきたいと思いますが

この名誉と言うものは簡単に言ってしまうと評判です。

そして、名誉があると言う事は

一目置かれていると言うことであり

コミュニティー内での重要性が高いとされている事でもあります。

つまり、簡単に言えば、コミュニティー内での歓迎度合いの指標といったところでしょうか。


当然ながら、名誉の価値とは

そのコミュニティーの価値に紐付けられることがわかります。

そして本題に入れば、私たちはいわゆる共存をして天国を共に作るコミュニティー

の中で評判が良くなければ

今の生存競争社会から抜け出せないことになります。

つまり歓迎されないので移行できないわけですね。

その基準でこの世を見たときに

この世にはしっかりとした

共存をして、天国を作るコミュニティー

と言うものは存在していないわけです。

なので、そういった観点ではなく

志を持って豊かな社会を形成しようとする人はもちろんこの世にもいるわけで

その人たちに歓迎されるかどうか?と言うようなものになります。

しかしながら 本当の意味で共存をして豊かな社会を形成しようとしているのか

ただ、承認欲求やビジネス 何かしらの自分への言い訳がある種暴走して、ボランティアのようなことをしているのか

見分けは付きにくいものです。

仮に、そういった志のある素晴らしい人を見つけたとして

その人の前で、わざわざ自己表明してをして認めてもらったところで…と言うこともあります。


つまり 端的に言うと

この生存競争社会で名誉を得ると言うことに対しては

ほとんどその意味がないと言えます。

地上の星という歌がありますが

実際問題、素晴らしい仕事をしているけれど

全然目立たない人は無数にいます。

テレビや国に取り上げられることもなく

数の上では、そこまで大勢の人に感謝されていなくても

志を持って尊い仕事をしている人はたくさんいるわけです。

町の安くておいしい食堂とかがわかりやすい例でしょうかね…。

昨今ではこの大変なコロナの中、子供食堂に協力するようなお店もあったりします。


しかし、そういった志のある仕事一つ一つに

テレビが取材に行ったり

国が紫綬褒章をあげたりするような事は無いわけです。それは物理的に不可能で

つまり、この世における名誉と言うのは

ニュースのネタ…位の価値しかないとも言えてしまうのですね。


そもそもにして、今の生存競争社会と言うのは、決して褒められた状態の世界ではありません。

いわゆる、落ちこぼれの集団といえます。

その落ちこぼれの集団内で評判が良いと言うのは

例えるなら、反社組織や暴走族内で一目置かれていた…と言うようなことで

そんなものを誇られても…と言うような話ですね。


つまり、この世における名誉と言うものは

意識する必要のない項目だとすることがわかります。

逆の言い方をすれば、この世の名誉に惹かれてしまうと言うのは

それだけ世界を見る目が成熟していないと言うことになるわけです。この世の名誉が欲しいということは

今のこの生存競争社会であっても

その中で価値を認められたいということなのですよね。

それはそれでそういう段階なのかもしれません。

その要因としては

純粋に勝ち負けの勝負が好き、犠牲と言うものを意に介さないというところや

あるいは、自分自身に対する自信がなくて、とにかく周りからの承認が欲しくてたまらないなどの理由があるのでしょう。

しかし、少しきつい言い方をすれば

そのような段階とは 自分を確立しているとも

世界を見えているとも言える状態ではありません。

とことんこの世界に付き合って

それがどういうことかを教訓としてくらうまでは

次の世界が見えないのかもしれませんね…

少なくとも

根本的には共存し得る為には

この世の名誉の呪縛から解き放されている必要はあるわけです。


この世の中には、収入や学歴、あるいは結婚しているかしていないかなどの

様々な立場のコンプレックスがあります。

これは言い換えれば、規模としては小さいですが、名誉を追っかけているのと同じです。


また、会社や組織内でいかに上の立場に立つか?或いは

社会的成功と言うことに注力している人もいますが

言い換えるならば

それはいかに、他社評価によって自分が構築されているかの表れでもあるわけです、つまり自分の存在度が低いわけですね。


資産や立場も含む名誉に対する欲求と言うものは

実は、自分の未熟さを表す指標でもあります。

そういったものが魅力でなくなった時

この世の状態の真の価値…状況がわかったと言えるようになるのかもしれません。

そういう意味で、この世における名誉欲と言うのは、実は逆の意味を持つ側面があるともいえます。