さて 改めて

哲学は必要でしょうか?必要になってから

生きるのが辛くなってから考えるのでは遅いのでしょうか?


人は生きている以上

何かしらの価値基準を必要とします。

判断する為に 或いは自分のアイデンティティとして。


脳みそは快楽物質を出す報酬系を持っています。

ドーパミンやオキシトシンといったものです。

その他にも快、不快の感覚もあります。

これも判断基準 価値基準となります。

その他にも世の中にはたくさんの価値基準があります。

正義、大義、モラルや人間性 名誉や成功など

様々な名前がついています。


その時のタイミングや流れで

人間は何かしらの 既存の価値基準を採択します。或いは幾つかを混ぜたりします。


君はこうすべきだよ。


そんな指示に

何も知らない 分からない状態では抗えないのです。子供の教育も似たようなものです。


そしてその道に行かされます。

それが自分の意思で行ったものにせよ

行かされたものにせよ

注ぎ込んだ年月は

その道に沿った獲得物は蓄積して行きます。


あれ?

この道違うんじゃない?と気づいても

それを認めると 今までその道に注ぎ込んできた年月も労力も、なんなら成果もパーになりかねません。

自分の人生の一部を

間違いでしたと認めなければならない

これは大変な事です。


なので 意固地になったりします。


仕事人間で何十年も生きてきた人は

仕事が出来ない人間を口汚く罵り

お金を追いかけた人は貧乏を蔑み

家庭に尽くした人は

独身者を虚しいと嘲る・・そんな意見が

そこかしこに溢れています。

それら意見は

自分に言っているのです。言い聞かせたいという側面が多大にあるのです。


ある人は自らの幸福を

自らに見せる為に SNSにアップするでしょう。

人は

どうも不安なものほど 確認をとりたくなるもののようです。


かくして

人生の使い道

使うべき道は声高に 激しく

この世に溢れています。

あなたはそれに抗えますか?哲学というものを持たなければ丸腰のようなものです。


学校や会社や家庭 親戚関係の中で

様々な正義や価値があなたに襲いかかるでしょう。

そして会社員として

父や母として

あなたは勤めを果たそうと奮闘するのです。それが悪いとか間違いだとかでは無いのですが

しかし・・


幸福がそれでは訪れない事があります。

正直辛い

しかしどうすれば良いかわからない時が来たりします。


不運や理不尽があなたの築き上げてきたものや

そもそもゴールまでの道のりを崩す時が来たりもするのです。



哲学は必要でしょうか?


誰かの言う事を信じて

深い穴に落ちても

その誰かは

あなたを穴の外にはまず出してくれないでしょう。


多くの人が

その場限りの練度の低い美学を撒き散らします。それらに翻弄されて

後悔のない人生が果たして送れるのでしょうか?


ノイズだらけのこの世界では

哲学がいらないとは思えないのです。