成功したいと思ってるのに中々そういかない人には


信じられないかもしれないが

自分が無意識でそうしてしまっているという事実がある。



ん?自分はずっと成功したいけど。


確かにその通り。意識では確かに成功したいのだ。


しかし、無意識がそれを放棄する。

これは優しい人ほど起こる


どう言うことか?

優しい人と考えるとどんな人を思い浮かべるだろう。



鞄を持ってくれる人


何でも話を聞いてくれる人


物静かな人


色々あるが共通点は自己犠牲が出来る人である



要は自分を犠牲にして相手を喜ばせてる人

こういう人は他人優先なので心が土壇場で譲ってしまう。

無意識的にである。

だから恋愛でも会社でも、自分がもらうよりという、自己犠牲によりチャンスを逃すのだ。


これは無意識で行ってしまっているので、本人は能力が足りないだの、
タイミングだの、外見だの、と、違うところを修正しにいく


ところが的を得ていないので、いつまでも変わらない。


こういう人は実力はあるけれど、認められない。というより、自分からそうしてしまっているのだ。



俗にこの事を

正直者はバカをみるというのだろう。



正直者でも成功している人はいる。その人はその譲りや自己犠牲の心を
上手くコントロールしているのだ。


そういう人はまず、自分をふんだんに受けいれてみよう。


そして自分の意見を強くいってみよう。


我が儘になろう。


本当にそこのコントロールが上手な人は、優しく見せつつ、自分の意見を通せる。


ぜひ、そういう人間になろう。


そうしてもう一つ、

自己犠牲だけが優しさではないことを知ろう


前述した通り、

優しさ=自己犠牲


と思ってしまっていることが間違いである。


とかく自己犠牲は本当に相手を思っているときにすることであるが、多くは、こうしとけば、嫌われることも、煙たがられることも、皆から必要とされるだろう。

と傷つかないための

自分を守る最大の武器であるとも言える。


つまり自分本意。
である

これが偽善者だ。



こうなるともう優しさも優しさではない。

けども優しいと言うことで、他の何かから逃げている。



本当に優しい人は、自分は嫌われようが、怒ってあげたり、する。


これも優しさである。


全部を許すことが優しさではないこと。

自分が嫌われないからという理由で優しくしないこと。



この2つは守りたい。


そして最後に、成功を勝ち取りたいのであれば、

自分を受け入れ、

むだな自己犠牲をせずに、(自分を守るための)


することで、成功が出来るようになる。



そして最後に


あの人を選ぶよりも自分を選ぶことで幸せに出来るのであれば、

自分が選ばれることが、優しさであろう。

そうやって成功をつかみとるのだ。