なかなかダークなタイトルになってきましたねー 今日は療法士の失われた20年間を振り返ります。チョイと辛口ですぜHOT

 

 始まりは1996年(平成8年)。それまで日本の物理的治療を担ってきた「理学診療科」という科が、「リハビリテーション科」へと改名されます。この時から療法士の所属科が、いったい何をするところかよく分からない科になりました(“リハビリテーション”が診療科名になることが、そもそもオカシイのですが)うーん

 

 そして2000年(平成12年)にはご存じ、回復期リハビリ病棟と介護保険制度が始まります。回復期リハビリでは、療法士はただひたすら日常生活動作を反復させることを求められました。病棟に行って患者さんをただ起こす、ただ歩かせる、ただ生活動作をさせる。それだけのことに大量の時間と保険(9単位)が費やされました。

 

 また介護保険分野には、厚労省の政策誘導に乗って沢山の療法士が流れてゆきました。そこでは多くの療法士が治療者として機能せず、代わりに生活支援やマネージメントといった、本来の専門領域外の仕事に活躍の場を求めるようになりました。そして治療者としての専門性を失っていったのですぼけー

 

 昔のICIDH的に言うと、回復期リハビリはDisability偏重、介護保険リハビリはHandicap偏重の療法士が増えるきっかけとなりました。何度も言うように、本来 療法士はImpairmentや一部のDiseaseの改善を専門とする職業なのに、です。その結果、療法士と介護職や相談・支援職との職域がすっかり不明瞭となりました顔文字(+´・_・`+)ン?

 

 2002年(平成14年)には“リハビリ”に単位制が導入されます。それまでの複雑(710点/40分)・簡単(200点/15分)から、個別(250点/20分)・集団(100点/20分)へと変わりました。これが魔の減算政策の始まりです。ちなみに厚労省の完全な思いつきで始まったこの「集団」単位制は、4年後すぐに廃止されますニヤニヤなんじゃそりゃ

 

 そして2006年(平成18年)、ついに史上最低の改悪が行われます。物理医療のド素人たちが考えた「疾患別リハビリ制度」の誕生です。また、医学的根拠の全くない疾患別算定期限や単価差の設定、PTとOTの専門性を失わせるリハビリテーション料への統合、さらに療法士の職域を完全に無視した基準Ⅱ算定の創設(療法士でなくとも点数が取れる)なども、この年に行われますうんち

 

 この2006年の改悪は決定的でした。今でもあの内容を知った時の憤りと情けなさは忘れません。同僚と飲みながらすごく荒れたのを覚えています。療法士をやめようかと本気で考えたほどです。2008年にはその単価もさらに引き下げられ、その後は不変や微増を繰り返しながら今に至りますはぁ・・・

 

 これらのうんちな制度変遷に対し、療法士の職能団体は無力だったどころか、むしろ迎合してきました。現在、“リハビリ分野”で行われていることの多くは、厚労省の政策誘導や通達に過剰反応した業界(私たち)の安易な流動や飛びつきによるものです。少し前なら、根拠と実績が全くないマシーントレーニング(パワーリハビリ)の蔓延、最近では予防と称して療法士が体操ごっこをしているケースもそうです。つまり、ひと時のブームですねうん

 

 また無計画な厚労省・文科省と、儲け主義に走った法人等による療法士養成校の乱立・低水準化も進みました。これに上記のうんちな制度変遷が重なり、この20年間で私たち療法士は他業種でも代替可能な「リハビリ屋さん」にすっかり成り下がったのです。悲しいことですが、まずはこの失敗の歴史をちゃんと認識し、反省することが必要です涙

 

 この黒歴史の流れを変えるためには、療法士が治療者としての専門性を社会に認めさせなければなりません。自分たちの将来のため、そして何より患者さんのために、治療のできる療法士をもっともっと増やさなければなりません。全国のあきらめない療法士さん、お互い治療者としての自覚を忘れずに生きてゆきましょうねメラメラ

 

↓ダークでスパイシーだね(゚∀゚*)>

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