如月十六日 日曜日 曇り 伺いを立ててみるか(・_・?)

譲与材の受渡は宇治・山田工場です。

神社庁平鹿支部経由で

神宮古殿舎撤去材の譲与についての通知がありました。

伊勢神宮HPはこちら↓
http://www.isejingu.or.jp/


これは神宮古殿舎撤去材のうち

摂社・末社並びに諸殿舎の造営修復に必要なる部材を除いたものを、

各県神社及びその付属施設の造営・修復の用材に供するものについて、

譲与の先例を考慮し併せて神宮と特に関係深く

御神徳宣揚につき必要と認められる神社並びに、

東日本大震災により被災した神社へ譲与する、

というものです(^^)b

要件は「神宮と特に関係深く」か・・・


さて、現在、私はこのような「まちおこし」事業に取り組んでいます。
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/62190254.html

明治の中頃、地元では養蚕が盛んでした。

その絹織物が「皇室」にも献上されていた記録が残っています。

忠義な猫は蚕を好んで食べるネズミを退治、養蚕を助けて大活躍、

没後、忠猫(ちゅうびょう)と称えられました。


皇室と神宮は深い関わりがあります。

忠猫社の建立に神宮古殿舎撤去材を使わせていただけないものか…

猫と絹織物と皇室と神宮を結びつけるのは強引すぎるかな?(^^;)

むしろ飼い主さんからアプローチするべきか(・_・?)


忠義な猫の飼い主である多右衛門は、川連村(湯沢市稲川町)で

秋田藩の養蚕指導者だった関喜内の三男として生まれ、

23歳のとき浅舞村の伊勢多兵衛(1795~1883年)の

養子に入った。多兵衛は天保の飢饉(ききん)で

窮民を救済した慈善家である。


当時の浅舞村は800戸、人口5千人余の規模。

地主のほか小作人も多く、凶作が続くと餓死したり、

借金がたまって一家離散するなど悲惨な状況になっていた。

そこで、多右衛門は私財を投じて窮民救済に動き救世主と仰がれた。

明治14(1881)年、功が認められ、

明治天皇巡幸に際しては父と共に拝謁(はいえつ)した。

御真影を賜っています。


☆★☆【神道のお祭りについて】☆★☆
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/60235670.html

☆★☆【永代供養墓について】☆★☆
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/59892446.html 


浅舞八幡神社
〒013-0105 秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼127
℡0182-(24)-1606
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