書庫「宗教全般」の更新です。

仏教の要所②

出 典:平成22年秋「神々の里(機関紙)」第4号
発行元:現代神道研究会
発行人:松田秀樹
編集人:山田 健


しかるに、国民の多くが仏式で平然としているのは、
昔からそうだと思っていることもあろうし、
多数であるため当たり前のこととして、そのことに疑問が生じないことや、
僧職も神職もその事実をほとんど発しないことも大きな要因であろう。

僧職にとってはその事実を云うことは、不利益となるのであるから、
余程の正直者か変わり者でなければ、口をつぐんだままであろう。

その事実を知る人は、仏式葬儀を見ると、
未だ明治維新を経ない江戸時代の状況が続いていると、
私のように思う人もいるのでなかろうか。

今日にいたって尚、仏式葬儀と仏式の先祖祭りが多いのは、
江戸時代徳川幕府が切支丹禁止政策として、
仏式葬儀を国民に強制したことが真因としてあり、
その影響力が弱まることなく現在に至っているからである。

仏教に先祖祭りの教えや思想がないことは、
仏教を少しかじった人にとっては
常識中の常識であるが、一般国民の認識は低く、
仏式が多数を占めていること、見ての通りである。

仏教では、女性蔑視の思想が強いのだが、
日本の神々にはそのようなことはない。仏教との大きな違いである。
そのことをよく知らないので、女性も平然としているのであろう。

とりわけ、女性は女性のままでは成仏しない。
男性に生まれ変わらないといけない
などと云われたりするのであるから、
女性も仏式葬儀からの改宗も含めよく考えるべきでなかろうか。

関連リンク【仏教の「女性」キリスト教の「女性」】
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/bukkyokirisuto08.htm

仏教の思想から云えば、この国は穢土(えど)である。
穢土から離れた浄土を良しとするのが、仏教である。
それをさして厭離穢土(えんりえど)というが、
神聖であるはずの神域も穢土なのであるから、
神々が仏教を嫌ってしまっても不自然なことではない。


厭離穢土と寂滅為楽の教えが内在する仏教は、国家を衰退に向かわせる。
何となれば、浄土を希求し、安楽死をすすめるのであるから、
人の道にも反するし、神々も不快に思うのは当然ではないだろうか。

この世とあの世の距離は、
仏教では遠く十万億土といわれる(彼岸にある浄土まで)。

関連リンク【お彼岸について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/57226554.html

滅茶苦茶遠い距離なのだが、我々日本人の感覚は、
武田節の如く「祖霊ましますこの山河」であり、
きわめて近い所にあの世があるのである。
そうでなければ、先祖との対話など遠すぎて出来ないであろう。
何と我々日本人の感覚と仏教の教えは違うのであろうか。

次回に続く