書庫「地域情報」の更新です。

公園と米を守った「いのちの番人」

先月8日の秋田魁新聞の記事に当神社に隣接する

浅舞公園に今も残る「忠猫(ちゅうびょう)の碑」

が紹介されていました。

猫ちゃんの慰霊碑(顕彰碑?)です。
https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/48/6f/fgnpd582/folder/1509475/img_1509475_60278217_0?1289894996

花が供えられています。私より先に誰かがお参りしたみたいね…

地元の人でもここを知っている人は何割いるか…?

知る人ぞ知るかも? 

ある程度郷土史に詳しい人じゃないと分からんかも…

以前私は愛犬ジロウと散歩する度に拝んでいました。

以下は新聞記事の転載です。

大館市生まれの忠犬ハチ公は、全国的に有名だ。

一方、横手市平鹿町には、いまだ無名だが忠義な猫が実在した。


「あやめ公園」として知られる浅舞公園は1882(明治15年)8月、

伊勢多右衛門八幡神社に隣接する原野を買い求め、

開墾して庵(いおり)を結び、梅、松、桜などを植えて

庭園にしたことから始まる。

公園には今も「忠猫(ちゅびょう)」と刻んだ珍しい碑が残っている。


※八幡神社とは当社のことです。

※伊勢家の現戸主は当社の責任役員です。


この碑は、多右衛門が飼っていたまだら模様の猫が1907(明治40)年

2月15日、13歳で亡くなったのを機に建立された。

その経緯は、多右衛門が書き残した文書などから、

うかがい知ることができる。


多右衛門(1833~1914)は、酒造業を営む大地主であり、

慈善家として知られた伊勢家のむこ養子となった。

養父多兵衛のを継ぎ、

慈善事業と社会事業(道路・橋の改修)に尽力。

窮民を救済するために感恩講を設立した。


多右衛門が暮らした邪防庵は庵とはいえ米蔵があり、

一般の民家よりはるかに大きかった。

ここで多右衛門の娘キクが裁縫教授所を経営し、

養蚕と機織りを地域の女性たちに教えていた。

だが、その土地はいまだ雑草が繁茂し、

野ネズミやヘビの害に苦しめられた。


教授所の教師・高久奈保が、浅舞村の医師・佐波賢隆から

1895(明治28)年8月10日に、雌の子猫をもらった。

奈保は、子猫を大切に育てた。

子猫はとても優しくおとなしく、よく人に慣れ、

間もなくネズミを捕るようになった。

(今の猫は捕らない? 野性味が無い?)

奈保は97年職を辞し、庵を去ったが、後任の教師が猫を飼育した。

猫はネズミを捕るのが自分の務めと心得たかのように、

庵のネズミを捕り尽くしたという。


当時、八幡神社境内の修理と、

多右衛門の庭園を浅舞公園にする工事が行われていた。

こちらも野ネズミとヘビがおびただしく、

植えた樹木や花などに被害が及んだ。

公園に水を注ぐ側溝や堤なども破損した。

人々は困り果てていたが、伊勢家の猫が日々退治にいそしみ、

10年ほどで撲滅した。


一方、米蔵の木材に穴を開けて侵入し、

米をあさる大量のネズミが発生した。

米蔵の米は、感恩講の米でもあった。

感恩講とは、江戸時代後期以降の本県の民間救助機関で、

蓄えた米を貧民の救済などにあてた。

感恩講の米が不足すると人々の生活が成り立たなくなる。

これも伊勢家の猫が退治した。

当時の慈善事業の中心だった伊勢家の志を、

猫が裏で支えたことになる。

現在、感恩講は保育園になっています(^^)b
http://a-kanonkou.com/


さらに伊勢家の猫は、村内各所の米蔵にも足を伸ばし、

そこのネズミも退治した。あたかもその様子は、

猫の姿を借りて民衆の米を守る「いのちの番人」のようだったという。

神仏が猫に乗り移って、民衆を守ろうとしたのだろうか。


こうして民衆の、命をつなぐ米は守られ、

人々が憩う浅舞公園も整備されていった。

ここで作られた浅舞染めは、堅くて丈夫で色彩や香りがよく、

防虫効果もあったことから高く評価され、

皇室に献上されるまでになった。

これもネズミの被害が無くなったからだと、

人々は伊勢家の猫をたたえた。


伊勢家の猫は不思議なことに一度も交尾することはなく

子をはらむこともなかった。聖女のようであった。

猫でありながら、人々のためにひたすらネズミ退治に奔走した。

ただの猫ではない。神聖なる神の猫、忠義の猫であった。


こうした猫の様子を見るにつけ、

主人である多右衛門は

「なんという忠義者。老いて亡くなったら

 猫明神として永く祀りたい。魂になっても、神社や公園内に

 害を及ぼすネズミなどを退治する守護神になったほしい」

と強く願い、碑の建立を思い立った。


やがて猫は亡くなった。多右衛門は、葬式を手厚く執り行い、

塚を築き、松を植えた。碑は男鹿の寒風山の石に猫の姿を刻み、

総持寺の高僧から「忠猫(ちゅうびょう)」という

文字を篆刻(てんこく)してもらった。


伊勢家文書の終わりに、多右衛門は述べている。

「永遠にこの功徳を伝えたい。碑を見る人々よ、

 忠義な猫の功績を忘れないでほしい」


猫が没して103年。多右衛門が世を去ってからも、

すでに96年の年月がたっている。

今は忠義の猫を語る人も、知る人もいない。

(猫ちゃん! 八幡神社の神主が語ってるよ!)


浅舞八幡神社
〒013-0105 秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼127
℡0182-(24)-1606
由緒・沿革  祭典HP(動画も見れます!)  神道墓苑 浅舞の杜  周辺地図