「本多さんは私財を投じて自分の利益(私益)のために
お祭り用屋台の格納庫兼物置を作るんですか(・_・?)
それとも、公益重視で神社への単なる奉納なのですか(・_・?)」
回答…両方(公益&私益)のためです。
世の中に無私の人間は皆無でしょう。
自分なんか欲望だらけです( ̄m ̄〃)←やっぱり
神道思想に基づいた社会運営が実現できたら素晴らしいなぁ…
と思っている欲望の神主なのです。存命中には絶対無理でしょうが…
さて、私は私益と公益は共通する部分もあると拡大解釈しています。
私財を投じて神社の有形無形財産を護持することで
伝統文化を通じて自分も利益を受けることになります。
(利益≠金銭)
将来自分の子供もその恩恵を受けるかもしれません。
自治意識が希薄になり町内会だって無くなるかもしれません。
はっきり言って困ります(-_-

都会のように無縁社会化が進むでしょう…
独居老人の孤独死が多発するかも?((((;゚Д゚)))
近い将来…
地方の活性化が必要なときに、
年長者が地元の伝統文化にすら誇りをもっていなかったら、
若者はそんな田舎に戻ることに魅力を感じるでしょうか(・_・?)
というか、それ以前に仕事が無いんですけどね…
少子化・過疎化・核家族化で、
子供の社会性発達に関する影響が危ぶまれます。
自治を通じて子供を育てる環境づくりをする必要があります。
行政依存では限界がありますもんね…
宗教を通じての道徳教育なども重要です(^^)b
公益とは公の利益、言いかえれば、
社会における不特定かつ多数の人々の利益をいいます。
「社会全体の利益」ではなく「不特定かつ多数」とされています。
そして「不特定」という語はある団体に関連した
「特定」の人に対してもあてはめられます。
宗教法人に属する信者なんかも含まれるのです。
民法で定められた公益法人は
学術、技芸、慈善、祭祀、宗教その他の公益に関する
社団又は財団であって、営利を目的としないものは、
主務官庁の許可を得て、法人とすることができる。
(民法第34条)
とされています。
宗教法人も公益法人の1つなんですよ(^^)b
が、現代では、公益と私益の境目が非常に難しい。
(※以下はあるブログからの抜粋です。)
公益という名目で補助金を受けたとき、
それに携わる人は給金を受けてはいけないという常識がある。
給金を受け取ることは私益という解釈だ。
私が参加しているNPOでは、
釘を使わずに木を組み合わせて建物を建てる、
日本の伝統建築技術を子供たちに伝えている。
これらの建築は、法隆寺や清水寺などに見ることができる
日本が誇れる匠の世界である。
講師は、現役の大工さんである。
この教室にマスコミも注目したが、
いまは大阪だけで行われている。地方には行けない。
なぜ行けないのかというと、
講師への謝礼(給金)が出ないからだ。
刃物を使うからアマチュアの人を使う訳にはいかない。
もし、遠距離地に出かけるとなると、
前日や翌日の仕事に影響が出てしまう。
大工さんは、日雇い労働者である。1日働いては給金をもらう。
いまの時代、大工の給金は非常に安いので、
土曜日も日曜日も働く人が多い。
その大工さんたちが、仕事を休んでNPOに参加してくれるが、
せめて1日の家族の食事代の3千円でも給金を出してやりたい。
が、それもままならない。給金は私益と考えられてしまうからだ。
だから、志を持っていても、家族のことを考えると、
NPOの活動に参加できない大工さんが多くいる。
公益と私益の問題がここにある。
私たちは、京都や奈良に来る修学旅行生たちに、
木組みを体験してもらった後に、
古寺を訪ねてほしいと願っている。
木組みを経験することで、寺を見る目が変わり、
日本の歴史をよく考えるようになるからだ。
しかし、これを公益であるという枠組みの中で考えると、
私たちのNPOでは、給金の問題があり不可能となる。
どこか、営利を目的とする団体がそれを運用する
ことになれば協力したいが、その経済性には疑問符が付くだろう。
公益とは難しいものだ。
公益と私益は相反するものなのだろうか。
