書庫「仏教」の更新は久々です(^^;)
出典:仏教早わかり百科(監修 ひろさちや)
それは、死後どうなるのかわからないという、未知への恐怖である。
人間は高度に発達した理性(我知欲)を持ち得たときから
自身の未来についてあれこれと考えてしまう
悩める存在となってしまったのでしょうか(・_・?)
「不景気の影響で今後仕事がうまくいかないかも?(-_-)ウーム」
「このままだと病気になるかもしれない(-_-
」
」「無縁社会で孤独死するかもしれない(((((( ;゚Д゚)))))」
「俺って30代でも結婚できないかも?(;^_^A アセアセ・・・」
事例を挙げればきりがありませんね。
道端の草木や犬猫の精神世界にはこんな悩みがあるのでしょうか(・_・?)
死んだら自分の魂はどうなるのか(・_・?)
肉体を失って、心だけがさまようのではないか(・_・?)
自分は極楽浄土に行けるのだろうか(・_・?)
それとも地獄に落ちるのだろうか(・_・?)
後からわいてくる不安に、どうしようもなく恐怖を覚える。
これらはすべて、死後の世界を知らないことへの恐怖だといえる。
しかし、これまでの長い歴史の中で、
死ななかった人はひとりもいないのである。
*死をどのように定義するか(・_・?)という問題がありますが…
自分ひとりが死ぬわけではない、皆いつかは死ぬ。
我が家の愛犬ジロウは数年前に交通事故で死にました。・゜・(/Д`)・゜・。
私もつかは死ぬでしょう。
今日私のブログ記事を見てくれた人もいつかは死ぬでしょう。
そう考えれば怖がることはない。
仏教で六道世界の輪廻転生や地獄などについて説いたのは、
仏法を説き、人々に正しい生き方を教えるための方便(手段)であり、
道徳的な指導をするためなのです。
決して、仏教ではこうした世界があることを信じなさい、
といっているわけではない。
我々が生存しているような三次元空間のあの世が存在するのか?(-_-)ウーム
閻魔様に裁きを受けるのか?(((((( ;゚Д゚)))))ガクガクブルブル
生前の行い(業)が悪い私は地獄行き決定なんでしょうか?σ( ̄∇ ̄

永遠に六道をさまようことになるのかしら?(-_-

仏教の基本原理としては
「わからないことはわからないのだ、わかることがわかることである」
と説いている。
なにやら禅問答のようであるが、
つまり「わからないことはわからないと、しっかり諦めよ」ということである。
「諦める」とは真実を明らかにする、ということ、
したがって、明日のことや未来のことなど、
考えてもわからないことをあれこれ考えてもしかたがない、
よけいなことだと教えている。
死後の世界についても「考えるな」というのである。
これについての釈迦の対応法は
「捨置記(しゃちき)」あるいは「無記答(むきとう)」といわれている。
釈迦が弟子のマールンクヤに、死後の世界について質問されたとき、
これに答えず、捨て置かれたことによる。
釈迦はこの問いに対して考えず、答えもしなかったのである。
仏教は釈迦のとった態度を基本とし、これをずっと守り続けている。
それには、今の一瞬一瞬を懸命に、大切に生きればよいと説いている。
今、目の前にあることをしっかりやりなさい、ということである。
こうした生き方を実践しているのが禅である。
おなかがすいたら食事をし、眠くなったら寝る。これに専念する。
決して、「○○しながら」にしない。
食事をするときはひたすら食べる、
仕事をするときはひたすら仕事に専念する、ということだ。
しかし、こうした訓練は僧侶ならできるが、
在家の普通の人にはなかなか難しい。
今を大切に生きなさい、死後のことは考えるなといわれても、
どうしても考えてしまう。そこでどうするか(・_・?)
「死んだら浄土へ行く」と信じればよい。
これは浄土があるとかないとか、議論することではない。
宗教とは人間の理性の限界を哲学的に追究するものというより、
人間の生活と行為に関わってくる問題なのです。
死後の世界について「考えない」力がある人はよいが、
そうでない人は「浄土に行ける」と信じなさい、と説いているのです。
管理人の「田頭さん」いつもありがとう!(*- -)(*_ _)ペコ