『ウチの町内の若い人には
氏子って何なのか分からない人が多いのよ。
「俺は神社の氏子になった覚えが無い!ヽ(`д´;)/」
と言う人までいます(;^_^A アセアセ・・・
ところが、そういう人にかぎって神社に合格祈願には行くし、
初詣にも行くんです。どんな心理状態なのでしょう(・_・?)』
という話がありました。
私のブログでは今まで何回説明したことか…
ってネタですね( ̄m ̄〃)
さて、神主本多は考えました(-_-)ウーム
昔話風にこれを説明してみようかなと…
むか~し、むか~しのことじゃ、
(どんだけ昔だって?)
西暦740年(奈良時代の中期、皇紀だと1400年)、
浅舞村の開拓のころかな(・_・?)、
(-_-)ウーム今から1200年も前の話やねぇ…
その伝統を今でも護持してるって凄いと思う(-_-)ウーム
(話が横道にそれたね…)
当時の主要産業はお米づくりでありました。
今のように農機具など全く無かった時代、
複数の世帯が協力し合いながら農作業を行うことによって、
はじめて個々にとって十分な食糧が得られたのです。
私たちの遠いご先祖様たちは
村落という共同体を生活の場とする民族だったのです。
共同で農耕を営む村民は、
お米の恵みを与えてくれる自然に素直に感謝したんじゃ。
お日様に感謝!(^-人-^)
水の恵みに感謝!(^-人-^)
田の神・山の神を拝みました(*- -)(*_ _)ペコ
同時に生命を脅かす自然の脅威を
神様の怒りとも感じたかもしれんよね((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
稲作社会では天候や気温といった
自然環境の変化が生活に大きな影響を及ぼします。
そんなわけで…
我々の共同体の神様(村の守護神)をお祀りしよう!
ということになりました。
小さな祠を建てて祭神八幡大神を奉斎したんだとさ…
*氏神様は共同体の権威なのです(^^)b
村民は4月には共同で五穀豊穣を祈る春祭り、
9月には収穫に感謝して秋祭りを執り行うことで、
村の一員としての帰属意識を確認しつつ、
連帯感や共同意識を養っていたんでしょうね…
人々が万物を神の具現化と考え、
収穫物を神に捧げて感謝し、
自然の営みによって人間が生かされていることの
喜びを表現する祭りの風習が起こったのは必然だったのです。
「たなつ物 ももの木草も 天照らす 日の大神の 恵得てこそ」
この和歌は江戸時代の国学者である本居宣長の玉鉾百首の一首です(^^)b
