書庫「政治」の更新です(^^)

出典:生存法則論第三巻(政冶編)戸松慶議著

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【第一節 政治形態 三、民主政治について④…人民の意義】

第一の人民の意義とは何か、

ギリシヤ以降デモクラシーとは

漠然と『人民の権力』であるとされて来た。

人民の権力という意義はおそらく統治権力に対する

意味を表したものであるに違いない。

つまり、人民の権力とは人民の自治力、

自治組織をいったものであって、

それは多分に君主制、貴族制の治者的統治に対置する

被治者的不満を表したものであり、

人民の希望する統治のあり方を要求したものである。

この立場から理想的統治をつくるにはどうするべきであるかが、

『人民の権力』行使にとって重大な問題となる。

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被治者大衆の自治力は各自構成員の自由を原則として、

全体の平等を図り、反対に治者の統治力は、

平等を原則として自由を可能的に実現しようとするところにある。

従って、被治者大衆の自治力が、

自由を主張し過ぎて統治上の平等化を妨げ、

また治者の統治力が平等を主張し過ぎて、

個々人の自由を破壊する場合も、

共に行き過ぎであって的を得たものではない。

治者の統治力と平等は、

被治者大衆の自治力と自由とは政治上、

不即不離の関係であって、

統治よりも自治が重要であるということも、

自治よりも統治が重要であるということも

共に誤った見方である。


特に統治というものは基準・中心・原則となるもの、

あるいは我欲のブレーキとなる宗教、道徳、

倫理が無ければ成り立たないものである。


自治は「多数決」を権威とするが、

統治は量ではなくあくまで「質」に権威をおく、


統治という性能は多数決・量にあるのではなく、

全成員全体のための最高基準を発揮実現する

ところにあるものであるから、

統治の地位につくものは、

基準となる神もしくは倫理的自覚、

道徳的責任をもったものでなければならぬものである。

(↑理性主義者からこの部分に反論があるでしょうね…)


故に理想の政冶は最高の倫理的基準を基盤として、

統治と自治、自由と平等、治者と被治者が分限、本分、

限界を明確にし、その融合を保ってゆくところにある。

政治組織機構のいかんに拘らず、

統治と自治は分を立て独立し、

お互いに領域を侵してはならぬものである。

人民の権力は統治と自治の分を明らかにしつつ、

その全体を包含するとき、初めて完成されるものである。



現代のデモクラシーは古代、中世、近代と同じく

自治を中心として統治の独立を侵し、

統治を支える倫理、道徳、宗教を否定して、

多数決・量の支配的圧力で表現されている。


(*合理主義を徹底しただけの不完全なデモクラシーです。)


誤れる統治、もしくは不完全な統治に反動しておこって来た

自治をもって人民の権力であるとするならば、

何時までも完成されないであろう。

人民の権力の意義は、統治と自治を綜合し

包容したものとして取り上げられるべきであると思惟する。


次回「デモクラシーの政治組織」に続きます(*- -)(*_ _)ペコ