書庫「政治」の更新です(^^)
出典:生存法則論第三巻(政冶編)戸松慶議著
関連記事【民主政治について①】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58957071.html
関連記事【民主政治について②】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58961272.html
関連記事【民主政治について③】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58990027.html
【第一節 政治形態 三、民主政治について④…人民の意義】
第一の人民の意義とは何か、
ギリシヤ以降デモクラシーとは
漠然と『人民の権力』であるとされて来た。
人民の権力という意義はおそらく統治権力に対する
意味を表したものであるに違いない。
つまり、人民の権力とは人民の自治力、
自治組織をいったものであって、
それは多分に君主制、貴族制の治者的統治に対置する
被治者的不満を表したものであり、
人民の希望する統治のあり方を要求したものである。
この立場から理想的統治をつくるにはどうするべきであるかが、
『人民の権力』行使にとって重大な問題となる。
関連記事【君主政冶について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58953013.html
関連記事【貴族政冶について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58953143.html
被治者大衆の自治力は各自構成員の自由を原則として、
全体の平等を図り、反対に治者の統治力は、
平等を原則として自由を可能的に実現しようとするところにある。
従って、被治者大衆の自治力が、
自由を主張し過ぎて統治上の平等化を妨げ、
また治者の統治力が平等を主張し過ぎて、
個々人の自由を破壊する場合も、
共に行き過ぎであって的を得たものではない。
治者の統治力と平等は、
被治者大衆の自治力と自由とは政治上、
不即不離の関係であって、
統治よりも自治が重要であるということも、
自治よりも統治が重要であるということも
共に誤った見方である。
特に統治というものは基準・中心・原則となるもの、
あるいは我欲のブレーキとなる宗教、道徳、
倫理が無ければ成り立たないものである。
自治は「多数決」を権威とするが、
統治は量ではなくあくまで「質」に権威をおく、
統治という性能は多数決・量にあるのではなく、
全成員全体のための最高基準を発揮実現する
ところにあるものであるから、
統治の地位につくものは、
基準となる神もしくは倫理的自覚、
道徳的責任をもったものでなければならぬものである。
(↑理性主義者からこの部分に反論があるでしょうね…)
故に理想の政冶は最高の倫理的基準を基盤として、
統治と自治、自由と平等、治者と被治者が分限、本分、
限界を明確にし、その融合を保ってゆくところにある。
政治組織機構のいかんに拘らず、
統治と自治は分を立て独立し、
お互いに領域を侵してはならぬものである。
人民の権力は統治と自治の分を明らかにしつつ、
その全体を包含するとき、初めて完成されるものである。
現代のデモクラシーは古代、中世、近代と同じく
自治を中心として統治の独立を侵し、
統治を支える倫理、道徳、宗教を否定して、
多数決・量の支配的圧力で表現されている。
(*合理主義を徹底しただけの不完全なデモクラシーです。)
誤れる統治、もしくは不完全な統治に反動しておこって来た
自治をもって人民の権力であるとするならば、
何時までも完成されないであろう。
人民の権力の意義は、統治と自治を綜合し
包容したものとして取り上げられるべきであると思惟する。
次回「デモクラシーの政治組織」に続きます(*- -)(*_ _)ペコ
出典:生存法則論第三巻(政冶編)戸松慶議著
関連記事【民主政治について①】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58957071.html
関連記事【民主政治について②】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58961272.html
関連記事【民主政治について③】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58990027.html
【第一節 政治形態 三、民主政治について④…人民の意義】
第一の人民の意義とは何か、
ギリシヤ以降デモクラシーとは
漠然と『人民の権力』であるとされて来た。
人民の権力という意義はおそらく統治権力に対する
意味を表したものであるに違いない。
つまり、人民の権力とは人民の自治力、
自治組織をいったものであって、
それは多分に君主制、貴族制の治者的統治に対置する
被治者的不満を表したものであり、
人民の希望する統治のあり方を要求したものである。
この立場から理想的統治をつくるにはどうするべきであるかが、
『人民の権力』行使にとって重大な問題となる。
関連記事【君主政冶について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58953013.html
関連記事【貴族政冶について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58953143.html
被治者大衆の自治力は各自構成員の自由を原則として、
全体の平等を図り、反対に治者の統治力は、
平等を原則として自由を可能的に実現しようとするところにある。
従って、被治者大衆の自治力が、
自由を主張し過ぎて統治上の平等化を妨げ、
また治者の統治力が平等を主張し過ぎて、
個々人の自由を破壊する場合も、
共に行き過ぎであって的を得たものではない。
治者の統治力と平等は、
被治者大衆の自治力と自由とは政治上、
不即不離の関係であって、
統治よりも自治が重要であるということも、
自治よりも統治が重要であるということも
共に誤った見方である。
特に統治というものは基準・中心・原則となるもの、
あるいは我欲のブレーキとなる宗教、道徳、
倫理が無ければ成り立たないものである。
自治は「多数決」を権威とするが、
統治は量ではなくあくまで「質」に権威をおく、
統治という性能は多数決・量にあるのではなく、
全成員全体のための最高基準を発揮実現する
ところにあるものであるから、
統治の地位につくものは、
基準となる神もしくは倫理的自覚、
道徳的責任をもったものでなければならぬものである。
(↑理性主義者からこの部分に反論があるでしょうね…)
故に理想の政冶は最高の倫理的基準を基盤として、
統治と自治、自由と平等、治者と被治者が分限、本分、
限界を明確にし、その融合を保ってゆくところにある。
政治組織機構のいかんに拘らず、
統治と自治は分を立て独立し、
お互いに領域を侵してはならぬものである。
人民の権力は統治と自治の分を明らかにしつつ、
その全体を包含するとき、初めて完成されるものである。
現代のデモクラシーは古代、中世、近代と同じく
自治を中心として統治の独立を侵し、
統治を支える倫理、道徳、宗教を否定して、
多数決・量の支配的圧力で表現されている。
(*合理主義を徹底しただけの不完全なデモクラシーです。)
誤れる統治、もしくは不完全な統治に反動しておこって来た
自治をもって人民の権力であるとするならば、
何時までも完成されないであろう。
人民の権力の意義は、統治と自治を綜合し
包容したものとして取り上げられるべきであると思惟する。
次回「デモクラシーの政治組織」に続きます(*- -)(*_ _)ペコ