書庫「神道全般」の更新です(^^)

【神葬祭は神道の神聖な儀式(第2回目)】

出典:面白いほどよくわかる神道のすべて(菅田正昭箸)

*私の補足解説を含みます(*- -)(*_ _)ペコ

第1回目の記事はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/58776549.html



☆国家神道が奪還に水をさす☆

明治維新を迎えて神葬祭は復活したが、

明治15年の神官と教導職の分離で、

官社の神職は祭祀の枠に閉じ込められ、

宗教を語り、葬儀に関わることさえ禁じられ、

水をさされた状態となった。


というよりも、明治初年の神仏分離のとき、

古代のミタママツリの伝統に発する葬儀を、

一部の神道家たちは自分たちが神葬の祭式を

知らないままに、仏教側のものと誤解し、

仏教側へ分離してしまった、といっても過言ではない。


国家神道の解体で戦後は自由に関与できるようになったが、

葬式仏教の伝統と明治以降の影響で、

まだ十分に復活しているとは言い難い状況となっている。

とくに「死を穢れ(けがれ)とする観念」があり、

神社神道での神葬祭の執行は遅れている。

*穢れ=気枯れ・穢れ≠汚れ


穢れ(けがれ)は「気枯れ」と同義語であり、

気力が無くものすごく落ち込んだ状態をさします。

生命力が枯渇している状態といってもイイかも(・_・?)

例えば、家族(愛する者)が亡くなって、

その悲しみ、苦しみから、

元気・気力が枯れているような「状態」を

想像すればイイと思います。まさに「気枯れ」です。

忌中の間は神社に行って

「平常心を欠いた状態」で神様を拝むのは

不敬になるので遠慮しなさい。

今は故人のご供養に専念しなさい、

ということになってくるわけです(^^)b


穢れを「汚れと同義語」に論じたため

一部の仏教宗派が塩祓いなどを批判していますが、

くだらないの一言に尽きます( ̄m ̄〃)

気枯れの状態が積み重なってゆく最たるもの、

それが死という「状態」なのです。

物質的な意味の不浄ではありませんよ!


習俗的には死穢を「黒不浄」、

血穢を「赤不浄」といいます。

(あくまで習俗の話なので注意!)

特にこれらが中世「触穢思想(しょくえしそう)」等

と結びついて「穢れ=汚れ」観が定着していきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A7%A6%E7%A9%A2

神道における穢れと、

習俗的なそれを混同してはいけません。


☆神葬祭は神聖な行事☆

そうしたなかで現在、

神社界では神葬を仏葬の3分の1程度の

経費で行うことができることもあり、

神葬祭のビデオを作製してその普及を図っている。


しかし、やはり「死の穢れ」を持ち込むことはできない、

と考える神職や氏子がいる。

さらに、神葬まで行う氏子とそうでない氏子との間に、

「格差」がついてしまうこともあって、

あまり普及しないようである。

羽黒神社の宮司さんが関連記事を書いていました(^^)
http://www.geocities.jp/haguronoto/kihuku2.html


次回「神道の死の穢れの誤解」に続きます(*- -)(*_ _)ペコ