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【由緒・沿革「八幡神社由緒書」より】

住古(大昔)天平12年(西暦740年…奈良中期)当浅舞村開拓創業の際、

居村の北西の方角に水利牧民の地を選び、

小宇(小さな建物)を建て祭神八幡大神(第15代応神天皇)を祭祀し、

永くこの地の守護神と崇め、以て開業の盛事を表されたりと、

以後当村戸籍に編入するもの農民に偏せず、

士となく、商となく皆この氏子たらしむるを以て村中の法と定む。


降って元亀(1570)のころ小野寺左京亮友光(浅舞城主)、

宿館に一城を築き、当地を所領せるに当たり、該城の守護にせられ、

関連リンク【浅舞城について】
http://joukan-tamashy.web.infoseek.co.jp/joukan/akita/asamai/asamai.html

関連リンク【小野寺友光について】
http://1st.geocities.jp/biffbangpow2002/page049.html

先例の廃地せるを挙げ、大いに祭祀を振るわせたるも、

天正(1573)に至り、

奥州(現在の福島・宮城・岩手・青森の4県と秋田県の一部)

大に乱れ、幾間もなく滅亡し、

慶長7年(1602)隣村吉田の城主茂木監物に城引渡し、

元和8年(1622)破却の後修繕、

祭神又村民の一手に帰したりとか聞けり。


明暦(1655)より元和(1688)年間に御藩佐竹家に於いて

直参或は代参等ありて祈願せられしこと数回なりと。

寛保3年(1743)7月佐竹義峯公崇敬改造せらる。

其時の棟札今に保存す。


然るに天明(1781)の度より近傍人家、市中に移住せしより、

田園中にて参拝の度、雨水の際不便なるのみならず、

取締上堅固ならざるを以て、神威赦現の地を相し、

旧藩へ申立許可を蒙り、寛政12年(1800)庚申4月30日に

現在の場所(写真1・2枚目 浅舞字蒋沼125)に鎮座し、

文久2年(1862)壬戊8月氏子中拠金し更に造営を加え、

拝殿回廊とも全く完備せるなり。

明治5年(1872)壬申3月郷社に列せらるる。

同13年7月修繕造営を加え、同年9月19日遷宮式。    


明治15年(1882)6月 戸長(今の町・村長)柿崎宗信

富有者 伊勢多右ヱ門両氏上京 

有栖川宮幟仁親王へ御神号御染筆を、

師岡正胤の手を経て早速御許容あらせられ

4月26日に御書附を贈らる。県社昇格。


以上は浅舞八幡神社の由緒を抜粋したもので

寛政12年(1800)までは、

八幡小路321番地の24坪が、古八幡の地で、

現在松の木1本、小祠のそばを八幡川が流れ、

「雪の出羽路」に記されている舞台の松、諏訪明神などそばにある。

昭和54年(1979)4月、町の指定史跡(写真3枚目)

として保存されている。



〒013-0105
秋田県横手市平鹿町浅舞字蒋沼127
宗教法人 浅舞八幡神社
℡0182-(24)-1606