弥生二十六日 木曜日 曇り 議事録作成中!φ(.. ) メモメモ

数日前、

「異教の神さんを神式で祀るのはタブーか(・_・?)」

という事について考えるきっかけがありました。


最初は「深く議論するまでも無い」と思ってましたが、

あれこれ考えてみると

一筋縄にはいかない論点であることに気づいた。


そもそも…

「神道とは何か(・_・?)」 

「神社とは何か(・_・?)」

「神社神道の神とは何か(・_・?)」

こうしたことを定義してみようという試みはいつ始まったのか?


私のブログの常連さんなら知っている方も多いと思うが、

とにかく遅いんですよね。

神道史を見てみると…

鎌倉時代に「神道の主体性を維持する教学」として、

「度会神道(外宮神道・伊勢神道ともいう)」が説かれ、

室町時代には「吉田神道(唯一宗源神道)」が説かれています。


江戸時代に入ると、

前期には「神儒一致」を唱える「儒家神道」が盛んとなり、

中期以後は「国学の興隆」によって復古神道の流れが主流になる。 

この古神道精神復活は、

賀茂真淵・本居宣長などによってなされたものです。

神道古典の古事記が本格的に研究されるのが江戸時代です。


そんなわけで日本人の大半が

「神道とは何か(・_・?)」

「神社とは何か(・_・?)」

「神社神道の神とは何か(・_・?)」等を

ある程度「定義&理解」し、

他宗教との明確な区別をすることが無いまま

古来神社には諸外国の神仏が合祀&習合されてきました。


中にはそうした

「雑多性も含んでいるのが神道本来の姿」

「諸外国の文化思想と容易に融合できるのが神道の長所」

ではないだろうか(・_・?)と解釈する方もいるでしょう。


私はそう思ってないんですけどね(^^;)

「神道の主体性」が損なわれることを危惧します。


先日の日記に「子安観音菩薩の例祭」について書きましたが、

神主が観音様に対して「五穀豊穣・家内安全」を祈念するんです。

仏様に「国家鎮護」を祈念していた奈良仏教の頃みたいですね。

困ったもんです… 今でも神仏はごっちゃになってます(;^_^A アセアセ・・・



神社境内に酒樽を置いてもらっている地元の蔵元さんです↓


蔵の高屋根に立つと、遠く見渡せる一面の田んぼ。

そんな地元のお米だけを使っています。


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