書庫「行事と器教」の更新は超久々です(^^)

いつ以来かしら?(^^;) サボってました(*- -)(*_ _)ペコ

思い出一杯の節句が近くなってきたので更新しておきます。

だって私は女の子だもの( ̄m ̄〃)



【雛まつりはなぜ3月3日なのか(・_・?)】

出典:故~事苑(読売家庭版より)


明かりをつけましょ ぼんぼりに

五人ばやしに笛太鼓…。

緋毛せんを敷きつめた雛壇と、お雛さま。

菱もち、雛あられ、白酒など。

女の子でなくても、懐かしい思い出の一つ二つはあるに違いない。


雛まつり。上巳(じょうし)の節句(節供)である。

三月の初めの巳の日に行う節句で、別名を桃の節句。

これは、旧暦の上巳はちょうど桃の花ざかり。

桃から生まれた桃太郎の昔ばなしでも証明できるように、

桃には強い呪力があると考えられていた。

そこで、その桃の花や糀(こうじ)で作った桃酒を供えて、

それをみんなで飲んだことから桃の節句と呼んだのである。


ところで、この上巳の節句になぜお雛さまを飾るのだろうか。


ひなは、ひながた。つまり模型の意味である。

古くは、ひとがた(人形)、あるいは、かたしろ(形代)と呼んで、

昔、人々は、

自分の体や心にとりついたケガレや病気を、それに移そうとした。

祈ったり体をなでたりして、

ケガレや病気をひとがたに吸いとらせた後に、

そのひとがたを川や海に流した。

流すにあたってはお別れの式をした。

その式が、すなわち雛まつりの起源、と考えてよい。


だから、昔は、雛人形は紙や板きれでつくられた。

別れの式(雛まつり)も川や海の岸などの水辺で行い、

その場で流したことが、古い記録に見えている。

鳥取県下では、つい最近まで、

雛を供物とともに川に流す習慣が残っていた。

神社神道の「大祓(おおはらえ)」みたいですね。


では、その雛流しの祭りが、三月三日に行われたのはなぜなのか。


旧暦の三月三日は、潮の干満の差が最も大きい大潮の日なのだ。

つまり、川に流した雛が、海へ流れて行ったとき、

ずっと向こうの遠いところへ持って行ってくれるから―。


おーくる、おくる。お雛さま おくる。

来年もまた ござあれ。 来年もまた、ござあれ。


これは、古い形の雛まつりを伝えた

関東地方の童唄(わらべうた)である。

今のような雛まつりが定着してのは、ずっと新しくて、

江戸時代の武士の家で京の貴族のそれをまねして以後のことである。