書庫「五大神勅」の第3回目は斎庭稲穂-(平等分配)です(^^)

前回の更新から、か~なり間が空いちゃいましたね(^^;)


出典:生存法則論第一巻 古事記解説(戸松慶議著)
 


『吾が高天原に所御(きこしめ)す斎庭(ゆにわ)の

 穂(いなほ)を以て亦吾児に御(まか)せまつるべし。』
 


『私が高天原で収穫している祭りの庭の穀物を我子に授けてあげよう。』


第二神勅の御鏡の方は「精神方面」を取り扱い、

この第三神勅の斎庭稲穂は「物質面」の取り扱い方を示している。

物心両方を一体なものとして取り扱うのは

わが国をおいて他に見出せない。


関連記事【第二神勅-同床共殿-(国家統治の原則)】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/54277228.html


斎庭(ゆにわ)の稲穂とは「経済」のことである。

天皇が御即位の時に行われる大嘗祭や毎年行われる新嘗祭というのは、

この斎庭の稲穂が起源となっています。

前説「しらす」というところにおいて述べた通り、

すめらみこと天皇は、一切のものを自分のものとして

領有、私有、所持しない。

天皇は皇祖から賜ったものまでも自己の所有とせずに、

国民に分け与えられるのである。

国民全体に公平分配し、一人の貧しい者もないように神に祈り、

その精神をもって経済に臨むのが大嘗祭であり、新嘗祭である。


第一神勅で「しらす」についてふれています↓(^^)b
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/53665632.html


斎庭の斎という字は、斉という字の下に「皿」を書く。

つまり皿を斉しく分かつという意味であると同時に、

清浄という意味でもある。

私心邪心のない大御心をもって

物の分配生産消費に当たるというのが本義である。



歴代の天皇は国民生活の安定向上を天業とし、

使命としてその責任を果たして来たものである。

従って天皇を輔弼する内閣、官僚、政党、議会は

その精神とするところを実際に徹底させるのが

第一の使命であらねばならぬ。これが日本政治思想の本質であった。



まあ現在のような「衆愚政体」なんかを採用してると、

理想どおりには永遠にならないでしょうね…(-_-;)

それに関しては今後、

書庫「政治」で詳細にふれたいと思います(*- -)(*_ _)ペコ

そこを明確に説明できなきゃ「単なる理想論」ですからね…。



経済とは人間の物質獲得に関する秩序である。

人間欲望充足手段の欲望に比して物質は一般的に希少であるから、

一定の秩序を必要とする。

欲望充足手段たる財が、水や空気や火のごとく無限であるならば、

経済は不必要である。

限られた財を一定の秩序の下に社会成員に分配し

満足させようとするところに経済の意義が成立する。

無限の欲望と有限な欲望充足手段との対立を

持続的に平和裡に調和せしめようとするには、

公平分配が原則として成り立っておらねばならない。



生の根本は食べることである。

大御神が吾が食べている斎庭(ゆにわ)の穀物を、

国民全体に公平に分配しようというのは、このことをいっているのである。

経済の経は「ミチ」であり、済は「スクウ」である。

ミチとは道・倫・満つのことであって、

人は先ず腹が満ちておらねばならない。

同時に家族や隣人も空腹であっては争いがおこる。

生の権利は万人平等であるから、

物の所有は原則的に平等であらねばならない。

故に経と済を結んで経済といっているのである。

済うとは救済のことであり、斉は平等のことである。

平等化、公平分配が行われなければ経済は成立しない。

しかも清浄な精神でそれを行わなければならぬというのである。

これを実現するのが命(みこと)であり尊(みこと)である。

みこととは神の申し子ということで、

人間はこの神意を遂行するために生を享けているのであり、

斉を行うのである。

斉とは「ひとしい」であり「いつくしむ」であり「いはう」である。

財を人に慈しみ斉しく分けて生を祝うことが日本経済の本義である。

そこにはわらい、和楽がおこる。

和楽の発するところには必ず生成発展がある。