先日から「神仏習合」に関する記事を書いておりますが、

神道史(仏教との絡みを含む部分)の要点だけを確認しておきたいと思いました。


*以下は関連記事のリンク先です。


仏教と区別される形で、
はじめて「神道(日本書紀・用明紀)」という名称が登場!
固有の信仰、宗教として「神道」を意識↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/55231236.html


神仏習合の事例についてはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/55244832.html


伝来当時から仏教を誤解している日本人↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/55279443.html


仏様の概念・仏教とは仏になるための教え↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/55292148.html



【神仏習合を学ぶにあたり神道史を確認!】

仏教導入に関しては、国家統治制度の整備という時代の要請に

伴って門戸が開かれ、日本の宗教界は神仏並行の時代を迎えることとなる。

7世紀初頭、「大宝律令」が制定されると、

国家統治の最高府を司る二官のひとつとして神祇官が置かれ、

国家の年間祭祀が令(神祇令)によって定められた。



8世紀に入ると、神道界は神仏習合の時代を迎える。

寺院に鎮守社を祀り、神社に神宮寺(神願寺ともいう)を建立し、

さらに神は仏(本地)の仮の姿(垂迹)であるとする「本地垂迹説」が起こり、

鎌倉時代に盛んになっていった。

この本地垂迹説を理論化する教学として、

「山王一実神道(天台神道)」と「両部神道(真言神道)」に代表される

仏教的神道教学が誕生する。

*リンク先の「神仏習合の事例」などを参考にどうぞ↑



一方、同じ鎌倉時代に
神道の主体性を維持する教学として、

「度会神道(外宮神道・伊勢神道ともいう)」が説かれ、

室町時代には「吉田神道(唯一宗源神道)」が説かれている。



江戸時代に入ると、

前期には「神儒一致」を唱える「儒家神道」が盛んとなり、

中期以後は「国学の興隆」によって復古神道の流れが主流になる。 

この古神道精神復活は、

賀茂真淵・本居宣長などによってなされたものである。