俺のブログの常連さんと、
以下のようなコメントのやりとりがありました。
神主本多『分霊をむかえる…(・_・?)
もしかして「勧請」したいってことなの(・_・?)
当宮の地元には「伏見稲荷大社から勧請された稲荷神社」
がたくさんありますよ!(^^) 』
常連さん『おはようござます。
「勧請」は仏教用語ですよ(*´艸`) 神主さんが・・・( ̄m ̄〃)
それに稲荷神社は分霊しません。そこらに山ほど存在しますし、
分霊するのに幾ら包むのだろう・・・(="・ω・)ノ?』
神主本多『ええっ(・_・?) 仏教に限定された用語ではありませんよ。
神社の分類に「産土型神社」&「勧請型神社」があるのをご存知ですか(・_・?)
今はどうか分りませんが、伏見稲荷大社は分霊してますよ。
あちこちの御神体を見て調べたことがあります。
伏見稲荷大社と刻印されています(^^)b
山ほど存在するかどうかは問題になりません。
幾ら包むのかは全く分りません(^^;)』
【勧請型神社について】
出典:「神道とは何か」國學院大學 學院長 安蘇谷正彦著
勧請型神社の「勧請」とは、或る神社の祭神の御霊を分けていただいて、
遠く離れた土地に遷し鎮め祭ることをいう。
たとえば、八幡様は、もと九州の宇佐八幡宮が本祀であり、
そこから平安時代に京都に勧請し、石清水八幡宮が建立された。
平安時代後期に、源頼義が石清水八幡宮のご分霊を
鎌倉の由比浜(ゆいがはま)に遷し祭り、
その後、鎌倉幕府を開いた源頼朝が現在の地に鶴岡八幡宮を建てた。
また源氏の武士たちも自分たちの領地に八幡宮を勧請した。
他にも稲荷神社、天満宮などがよく知られている。
勧請型神社は「勧請」という言葉が仏教に由来するように、
仏教的色彩を濃厚にもっていた。八幡・稲荷・天満宮などのように、
明治維新とほぼ同時期に
神仏判然令(1868)―神社から仏教的なものを排除すべしという命令―
が明治政府によって公布される以前は、
神仏が混淆している神社であった。
勧請型神社の管理者は、ほとんどが、
社僧とか別当といって半僧半俗の人たちである点にも、神仏習合臭が窺われる。
白崎八幡宮さんで勧請してましたよ↓(^^)b
http://blogs.yahoo.co.jp/shirasaki_1122/47742481.html
以下のようなコメントのやりとりがありました。
神主本多『分霊をむかえる…(・_・?)
もしかして「勧請」したいってことなの(・_・?)
当宮の地元には「伏見稲荷大社から勧請された稲荷神社」
がたくさんありますよ!(^^) 』
常連さん『おはようござます。
「勧請」は仏教用語ですよ(*´艸`) 神主さんが・・・( ̄m ̄〃)
それに稲荷神社は分霊しません。そこらに山ほど存在しますし、
分霊するのに幾ら包むのだろう・・・(="・ω・)ノ?』
神主本多『ええっ(・_・?) 仏教に限定された用語ではありませんよ。
神社の分類に「産土型神社」&「勧請型神社」があるのをご存知ですか(・_・?)
今はどうか分りませんが、伏見稲荷大社は分霊してますよ。
あちこちの御神体を見て調べたことがあります。
伏見稲荷大社と刻印されています(^^)b
山ほど存在するかどうかは問題になりません。
幾ら包むのかは全く分りません(^^;)』
【勧請型神社について】
出典:「神道とは何か」國學院大學 學院長 安蘇谷正彦著
勧請型神社の「勧請」とは、或る神社の祭神の御霊を分けていただいて、
遠く離れた土地に遷し鎮め祭ることをいう。
たとえば、八幡様は、もと九州の宇佐八幡宮が本祀であり、
そこから平安時代に京都に勧請し、石清水八幡宮が建立された。
平安時代後期に、源頼義が石清水八幡宮のご分霊を
鎌倉の由比浜(ゆいがはま)に遷し祭り、
その後、鎌倉幕府を開いた源頼朝が現在の地に鶴岡八幡宮を建てた。
また源氏の武士たちも自分たちの領地に八幡宮を勧請した。
他にも稲荷神社、天満宮などがよく知られている。
勧請型神社は「勧請」という言葉が仏教に由来するように、
仏教的色彩を濃厚にもっていた。八幡・稲荷・天満宮などのように、
明治維新とほぼ同時期に
神仏判然令(1868)―神社から仏教的なものを排除すべしという命令―
が明治政府によって公布される以前は、
神仏が混淆している神社であった。
勧請型神社の管理者は、ほとんどが、
社僧とか別当といって半僧半俗の人たちである点にも、神仏習合臭が窺われる。
白崎八幡宮さんで勧請してましたよ↓(^^)b
http://blogs.yahoo.co.jp/shirasaki_1122/47742481.html