書庫「社会学」の第8回目の記事となります(^^)
この分野は「神道原理」を社会生活に適用させることの意義
を説明するときに役に立ちそうです(-_-)ウーム
ジックリ学んでおきたいと思います(^^ゞ
出典:生存法則論第三巻 政治編(戸松慶議著)
【社会の意義について】
社会とはすべて結合するという意味から由来するものである。
社会という言葉は、多義的に用いられており、それだけ曖昧でもある。
一般的に用いられているものを取り立てていうならば、
①同一の職業身分の同一性、仲間または漠然たる階級を意味する。
②人間の結合関係や生活の共同を意味する。
③個人に対する公共団体の意味。
④国家社会なる用法が示す如く、国家を抜きにして考えられた人間の団体、
ある地域に集合せる団体を意味する。
また「社会学」においても「社会の定義」は一定していない。
個人以上の、個々人の集合よりも一層大きいし、
それ自身の意識と体制とを具えた実在である。
しかし、最も普通には、社会とは個々人の結合と解せられる。
個々人が相互に何の関係もなしに孤立した集団ではなく、
お互いに関係しつつ結合したもの、これが社会である。
ここでいう関係とは「精神的関係」を意味する。
学者によっては「意思的関係」ともいう。
即ち、個々人の精神がお互いに作用し影響し合って、
または彼等の意思がお互いに意欲しあって成立し、
または維持されるところの人々の結合が、ここにいう社会である。
この意味における社会は、それを組成する個々人を離れて実在するものではない。
しかし、社会は常に、社会的なものを、生活の一環境として、
個々人の外部に作り出すものであることは争われない。
けれども、それを以て、
社会は個々人以上の大有機体であるとするのは誇張である。
これは社会についての一般的定義であるが、この社会は更に種々に分類される。
あるいは共同社会と利益社会、または全体社会と部分社会等の如く区分される。
関連記事1【共同体について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52389764.html
関連記事2【利益社会について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52394933.html
関連記事3【協成社会について】←神道の理想社会(^^)b
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/53996361.html
人間は社会的動物であるといわれる。
それは人間が常に対人的行為・関連の中にあり、
この社会的関連なしには、生きてゆけないものであるからである。
人間は絶えず欲求に基づいて行動するが、
その行動は対人的行動であり、いわゆる社会的行動である。
社会はこの行動の交換によって成立する。
そしてその交換の持続は、社会関係をつくる。
社会関係は結合関係と分離関係の2つに分かれ、
その上に上下の支配関係がからみ合って出来あがる。
人間生活は社会関係を離れて存在することはできない。
多種多様の集団は、相互に関連し合いながら全体的構造をつくりあげ、
国家に属しつつ国家を包含するのである。
人間はこのようにして集団の成員として社会生活を行うが、
その場合に人は社会的行動様式である
「慣習・伝統・法規・制度」に従って社会を形成してゆくのである。
同時にまた、それらのものは各個人に支えられて初めて存続されるのである。
社会は個人を強制し拘束しながら、
個人は社会の原動力として社会を改め進歩させてゆくものである。
従って、社会を個人に対する超越的実体と見る「社会実在論」も、
逆に原子論的個人を基礎とする「社会唯名論」も、否定されなければばらない。
なぜなら「社会実在論」は社会が人間的個体を超越して、
それ自体客観的統一をもつ実在であり、
構成要素たる個人を無視し、個人の主体性、
自主性が全く否定され破壊されるからである。
これに対し「社会唯名論」は個人のみが究極的実在であり、
社会は単なる擬制的なものであるに過ぎないとするからである。
前者は「全体主義」であり、後者は「個人主義」である。
両者は極端な対立物であるにほかならない。
極端なもの同士は「永遠の対立」を続けることになります(-_-;)
故に↑にリンクした「協成社会」を提唱するんです(^^)b
個人は個人であるが社会的個人であり、
社会も社会として存在するが、個人を構成要員とすることなくして、
存在することはできないものである。
社会と個人の関係は現実的・実際的に見ると
切り離して考えることの出来ぬものであるばかりでなく、
個人が社会に優越する場合もあれば、
社会が個人を支配決定する場合もあって、
時と所および必要性によって一定しない。
また同じ社会も歴史的条件を異にするにつれて違ってくるし、
社会の発展と共に、社会集団相互の関係が変化し、
いわば社会の体制が異なるにつれて違った形態をとる。
次回は「社会の種類」について記事にする予定です(^^ゞ
この分野は「神道原理」を社会生活に適用させることの意義
を説明するときに役に立ちそうです(-_-)ウーム
ジックリ学んでおきたいと思います(^^ゞ
出典:生存法則論第三巻 政治編(戸松慶議著)
【社会の意義について】
社会とはすべて結合するという意味から由来するものである。
社会という言葉は、多義的に用いられており、それだけ曖昧でもある。
一般的に用いられているものを取り立てていうならば、
①同一の職業身分の同一性、仲間または漠然たる階級を意味する。
②人間の結合関係や生活の共同を意味する。
③個人に対する公共団体の意味。
④国家社会なる用法が示す如く、国家を抜きにして考えられた人間の団体、
ある地域に集合せる団体を意味する。
また「社会学」においても「社会の定義」は一定していない。
個人以上の、個々人の集合よりも一層大きいし、
それ自身の意識と体制とを具えた実在である。
しかし、最も普通には、社会とは個々人の結合と解せられる。
個々人が相互に何の関係もなしに孤立した集団ではなく、
お互いに関係しつつ結合したもの、これが社会である。
ここでいう関係とは「精神的関係」を意味する。
学者によっては「意思的関係」ともいう。
即ち、個々人の精神がお互いに作用し影響し合って、
または彼等の意思がお互いに意欲しあって成立し、
または維持されるところの人々の結合が、ここにいう社会である。
この意味における社会は、それを組成する個々人を離れて実在するものではない。
しかし、社会は常に、社会的なものを、生活の一環境として、
個々人の外部に作り出すものであることは争われない。
けれども、それを以て、
社会は個々人以上の大有機体であるとするのは誇張である。
これは社会についての一般的定義であるが、この社会は更に種々に分類される。
あるいは共同社会と利益社会、または全体社会と部分社会等の如く区分される。
関連記事1【共同体について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52389764.html
関連記事2【利益社会について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52394933.html
関連記事3【協成社会について】←神道の理想社会(^^)b
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/53996361.html
人間は社会的動物であるといわれる。
それは人間が常に対人的行為・関連の中にあり、
この社会的関連なしには、生きてゆけないものであるからである。
人間は絶えず欲求に基づいて行動するが、
その行動は対人的行動であり、いわゆる社会的行動である。
社会はこの行動の交換によって成立する。
そしてその交換の持続は、社会関係をつくる。
社会関係は結合関係と分離関係の2つに分かれ、
その上に上下の支配関係がからみ合って出来あがる。
人間生活は社会関係を離れて存在することはできない。
多種多様の集団は、相互に関連し合いながら全体的構造をつくりあげ、
国家に属しつつ国家を包含するのである。
人間はこのようにして集団の成員として社会生活を行うが、
その場合に人は社会的行動様式である
「慣習・伝統・法規・制度」に従って社会を形成してゆくのである。
同時にまた、それらのものは各個人に支えられて初めて存続されるのである。
社会は個人を強制し拘束しながら、
個人は社会の原動力として社会を改め進歩させてゆくものである。
従って、社会を個人に対する超越的実体と見る「社会実在論」も、
逆に原子論的個人を基礎とする「社会唯名論」も、否定されなければばらない。
なぜなら「社会実在論」は社会が人間的個体を超越して、
それ自体客観的統一をもつ実在であり、
構成要素たる個人を無視し、個人の主体性、
自主性が全く否定され破壊されるからである。
これに対し「社会唯名論」は個人のみが究極的実在であり、
社会は単なる擬制的なものであるに過ぎないとするからである。
前者は「全体主義」であり、後者は「個人主義」である。
両者は極端な対立物であるにほかならない。
極端なもの同士は「永遠の対立」を続けることになります(-_-;)
故に↑にリンクした「協成社会」を提唱するんです(^^)b
個人は個人であるが社会的個人であり、
社会も社会として存在するが、個人を構成要員とすることなくして、
存在することはできないものである。
社会と個人の関係は現実的・実際的に見ると
切り離して考えることの出来ぬものであるばかりでなく、
個人が社会に優越する場合もあれば、
社会が個人を支配決定する場合もあって、
時と所および必要性によって一定しない。
また同じ社会も歴史的条件を異にするにつれて違ってくるし、
社会の発展と共に、社会集団相互の関係が変化し、
いわば社会の体制が異なるにつれて違った形態をとる。
次回は「社会の種類」について記事にする予定です(^^ゞ