書庫「五大神勅」の第2回目は同床共殿-(国家統治の原則)です(^^)

この神勅について、試しにブログ検索してみましたが、

記事にしている方は少ないみたいですねぇ~(-_-;)


出典:生存法則論第一巻 古事記解説(戸松慶議著)
 


『吾が児此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし、

与に床を同じくし、殿を共にして斎鏡と為すべし。』
 


「わが子よ、この鏡を見る時には、私を見るつもりで御覧なさい。

大御神と床を一つにし、宮殿を一つにして、

大御神の大御心を体現する鏡としなさい。」



寝ても起きても大御神と一緒に生活して

神そのものにならなければならぬことを教えたのである。

(↑神の境地とでも表現した方がイイかも(^^;)

神と「同床共殿」する精神がなければ「天津日嗣の天皇」にはなれないし、

天皇の本質を発揮することはできない。


関連記事1【天津日嗣(あまつひつぎ)について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50983641.html


関連記事2【天照大御神と須佐之男命 うけひの勝負(第1回目) 】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/53405035.html


関連記事3【経典の天皇について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50900160.html


われわれ人類が、動物の域を脱して人間になり得たのは、

人類の中の極少数者が、偉大な創造力と能力をもって

指導し啓蒙し教育訓練して来た結果である。

人間と人間の差は、人間と猿の差よりも甚だしいものである。

偉大な先駆者がインスピレーションをもって真理を把握し、

これを当代次代の人々に説き聴かせ、

当代次代の大衆が支持参向したときに文化が起こって来るものである。



「今日の一般大衆は山奥に住む猿とあまり異ならぬものだ」と

トインビーも断言している通り、

人間というものは精神の基準を、尠くともこれまで人間を導いて来た

最高の先駆者または神に求めおくことによって、

生成化育発展するものであって、

近代主義者等の「人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」

などとセンチメンタリズム的解放論者に、

神、神格、達人、聖人の境地が理解される筈はなく、

本当の意味での建設発展はできない。



近代西欧啓蒙思想の民主主義と自由主義は、

封建制や身分制を打破する能力として、

人間性のうちの「性悪面を共通に解放」したかもしれないが、

「性善的神性の自覚体現を否定」し続け、

人間を我がままの虜とし、万人強制、万人干渉、

万人専制の質的に人間精神を低下卑小にしたことは否定できない。

(現代の日本は「近代啓蒙思想の延長上」にあります(-_-;)

国民の大半は自国の固有性&独自性について

無知な方々に指導監督されているのです(^^)b



第二神勅は、人間精神の基準を示したもので、

万代不易、万古不滅の精神を天照大御神におくべきであると決定づけ、

独り「すめらみことの天皇」ばかりでなく、

国民に対しても同様そうであるべきことを教えているのである。



同床共殿とは何かと問われて、

その「奥義」をはっきり回答できる日本人はどれだけいるだろうか。

おそらく、夜は御床を同じくし、

昼は御殿を共にしておることであるというに違いない。

彼等は唯同席同座しているものと考えているであろうが、

どうしたら同席できるか、一日や二日ならば誰でもできるかもしれない。

しかし、それが「一生涯」であるから、毎日禊祓をし、鎮魂をして、

神の境地に立たなければならない。

またその境地に立たれるが故に国民全体の「大御親」になれるのである。


関連記事4【真のエリートとは?】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50800130.html


厳しい戒律を守るのは、宗教家や信者に如くものはない。

がしかし、神仏と四六時中同座して

神それ自体の心境を開くべく努力するものはどこにも見当たらない。

この不可能に近い困難な戒律を日本天皇は行って来たのである。

それ一つだけでも「天皇の神格なる理由」がわかるであろう。

神と同座し神と寝食を共にし、神と語らう心境で生活し、

万機に臨むことが「同床同殿の意義」である。

国体をして「天壌無窮」たらしめるには、

これら神勅を天皇中心に国民全体が行い積まねばならない。

この他宗教に優るとも劣らぬ「日本の教義」を知らぬ最高裁の判事長が、

天皇のキリスト教に帰依せざるを不満に思い、他にそれをもらしたと聞く。

彼にして斯くのごとくである。

況や爾余の文化人等がどれほど勉強不足かわかるであろう。



天皇は一生一代に一度営まれる大嘗祭(だいじょうさい)において、

天照大御神と一体化し、その心境に達せられるのである。

また毎朝御鏡を拝することによって大御神の境地を開かれるわけである。



然るに明治天皇をもって最後とし、

今日では御鏡御拝という行事が無くなっておると承る。

そればかりでなく、第四の天津神籠磐境(あまつひもろぎいわさか)神勅も、

神祇官が無くなってから「八神殿」というものも無くなっていると承る。

だから昨今皇室の御婚約、結納など、

「米製憲法」に基づいて行われているのである。

天皇を中心に国体の尊厳性を破壊し否定するのが現代日本である。

だから宮内庁は、万悪の根源となりつつある

現代の民主主義を立場として行動しているのである。



まあハッキリ言って、

宮内庁・神道政治連盟は道統否定団体ですΣ(|||▽||| )

まともに相手にしちゃ駄目ヽ(`д´;)/うがぁ!

我が国の国体は低レヴェルな「近代啓蒙思想」なんかとは、

比較できないほど優れていることを、

今後、書庫「政治」でも紹介していきます(*- -)(*_ _)ペコ



次回は第三神勅-斎庭稲穂(ゆにわのいなほ)-(平等分配)についてです(^^ゞ