書庫「社会学」の第5回目の記事となります(^^)
社会学で神道思想を分析すると、
現代の社会問題を解決する鍵が見えてきます(^^)b
出典:天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)
【近代社会の終末】
近代啓蒙思想-個人主義、自由主義は、
自然発生集団である家族、
親族を封建制の遺物であるかのように思い込んでいるが、
家族は封建社会以前のものであり、
むしろ人間の発生と共におこった人間生活の単位(苗代)である。
家は農耕民の営んできたものであり、
遊牧民のつくった、ホーム(家族の合宿所)とは、その本質が違う。
関連記事【我が国の家(いへ)の特質について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/51230640.html
我ら東洋人は家の思想をはなれて存在しないのである。
しかるに多くの日本人は西洋が歩んだ家族の近代化をもって
文明進歩であるかの如く錯覚し、
家族成員の分裂分化対立を当然の如く主張しているが、
これは全くの誤りである。
何故、そうのように断言できるのでしょうか(・_・?)
そもそも、家族は本質上、利益社会に表現される
個々人の契約によって成り立つ自由平等原理とは根本を異にする存在である。
関連記事【共同体と利益社会と協成社会(第2回目)】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52394933.html
家族は親子、夫婦、兄弟姉妹から成り立っている。
家族は最も自由にして平等な存在であるが、
利益社会に見られるような、
利益を中心とする契約上の自由ではない。
親子関係というものは、夫婦もそうであるが、
本来契約などという取引関係でなくて、
法の概念をこえた生命的本能的結合関係のものである。
約言するなら、愛情の結合関係であるというべきであろう。
それ故、家の近代化は強行すれば、
必然直接交換価値を平等に有する夫婦関係だけを残し、
親子兄弟関係は切り離され分離分解せられることになる。
親は子を生み育て、養う義務はあるが、
訓練し鍛錬し躾け道を強い、
扶養の責任を負わしてはならないというものになってしまうのである。
即ち共同体的機能は破壊され、
利益社会的契約のみが重んぜられることになるのである。
これが人間性を破壊させ喪失させ否定せしめた全ての理由であるといってよい。
近代啓蒙思想の父と仰がれた英国の哲人ロックの思想「民政論」と
18世紀最大の思想家と謳われた仏国ルソーの「民約論」を
根底とする主権在民なる現代の民主主義は、
資本主義の進展に伴って機械文明、独占化、競争の激化、
科学技術の高度化、人間の機械化、階級対立の激化、
大衆の政治参加、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、
映画等の普及により精神生活を根本的に分解し、
個々人を個々バラバラに分化分立せしめた。
この在り方を一定方向に導くものは政治権力や法律ではなく、
実は言論の自由を旗印とするマスコミュニケーションである、
というものにした。
近代における分業の発達とコミュニケーションの進歩は、
一方において国民生活を原子主義的孤立化して
相互の融和関係を破壊し去るとともに、
他方において個々バラバラに分解された人々を
マスコミュニケーションの力で引っ張って行くのである。
本来マスコミュニケーションは、
指導力、統一力をもつものではない。ただ流れて行くだけである。
丁度洪水と同じ性質のもので、どこへ流れて行くか見当つかない。
つまり、洪水とはムードを意味する。
現代人はこのムードによって動かされ流されて行くのである。
このようにマスコミによって動かされて行く大衆というものは、
本質上国民を指導管理することはできないものであり、
同時に指導してはならないものである。
いわんや国家社会を統治する能力など
あるべきはずが無いにもかかわらず、
今日これらの大衆がマスコミにあやつられ支配されつつ、
強力な社会勢力となって
社会指導及び管理統治の任についているのである。
ということは、取りも直さず、
現代が最悪の事態におかれているということである。
次回から共同体と利益社会の融合「協成社会」についてふれていきます(^^ゞ
関連記事を書いている方がいました↓(^^)
http://keyboo.at.webry.info/200802/article_10.html
社会学で神道思想を分析すると、
現代の社会問題を解決する鍵が見えてきます(^^)b
出典:天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)
【近代社会の終末】
近代啓蒙思想-個人主義、自由主義は、
自然発生集団である家族、
親族を封建制の遺物であるかのように思い込んでいるが、
家族は封建社会以前のものであり、
むしろ人間の発生と共におこった人間生活の単位(苗代)である。
家は農耕民の営んできたものであり、
遊牧民のつくった、ホーム(家族の合宿所)とは、その本質が違う。
関連記事【我が国の家(いへ)の特質について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/51230640.html
我ら東洋人は家の思想をはなれて存在しないのである。
しかるに多くの日本人は西洋が歩んだ家族の近代化をもって
文明進歩であるかの如く錯覚し、
家族成員の分裂分化対立を当然の如く主張しているが、
これは全くの誤りである。
何故、そうのように断言できるのでしょうか(・_・?)
そもそも、家族は本質上、利益社会に表現される
個々人の契約によって成り立つ自由平等原理とは根本を異にする存在である。
関連記事【共同体と利益社会と協成社会(第2回目)】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52394933.html
家族は親子、夫婦、兄弟姉妹から成り立っている。
家族は最も自由にして平等な存在であるが、
利益社会に見られるような、
利益を中心とする契約上の自由ではない。
親子関係というものは、夫婦もそうであるが、
本来契約などという取引関係でなくて、
法の概念をこえた生命的本能的結合関係のものである。
約言するなら、愛情の結合関係であるというべきであろう。
それ故、家の近代化は強行すれば、
必然直接交換価値を平等に有する夫婦関係だけを残し、
親子兄弟関係は切り離され分離分解せられることになる。
親は子を生み育て、養う義務はあるが、
訓練し鍛錬し躾け道を強い、
扶養の責任を負わしてはならないというものになってしまうのである。
即ち共同体的機能は破壊され、
利益社会的契約のみが重んぜられることになるのである。
これが人間性を破壊させ喪失させ否定せしめた全ての理由であるといってよい。
近代啓蒙思想の父と仰がれた英国の哲人ロックの思想「民政論」と
18世紀最大の思想家と謳われた仏国ルソーの「民約論」を
根底とする主権在民なる現代の民主主義は、
資本主義の進展に伴って機械文明、独占化、競争の激化、
科学技術の高度化、人間の機械化、階級対立の激化、
大衆の政治参加、新聞、雑誌、ラジオ、テレビ、
映画等の普及により精神生活を根本的に分解し、
個々人を個々バラバラに分化分立せしめた。
この在り方を一定方向に導くものは政治権力や法律ではなく、
実は言論の自由を旗印とするマスコミュニケーションである、
というものにした。
近代における分業の発達とコミュニケーションの進歩は、
一方において国民生活を原子主義的孤立化して
相互の融和関係を破壊し去るとともに、
他方において個々バラバラに分解された人々を
マスコミュニケーションの力で引っ張って行くのである。
本来マスコミュニケーションは、
指導力、統一力をもつものではない。ただ流れて行くだけである。
丁度洪水と同じ性質のもので、どこへ流れて行くか見当つかない。
つまり、洪水とはムードを意味する。
現代人はこのムードによって動かされ流されて行くのである。
このようにマスコミによって動かされて行く大衆というものは、
本質上国民を指導管理することはできないものであり、
同時に指導してはならないものである。
いわんや国家社会を統治する能力など
あるべきはずが無いにもかかわらず、
今日これらの大衆がマスコミにあやつられ支配されつつ、
強力な社会勢力となって
社会指導及び管理統治の任についているのである。
ということは、取りも直さず、
現代が最悪の事態におかれているということである。
次回から共同体と利益社会の融合「協成社会」についてふれていきます(^^ゞ
関連記事を書いている方がいました↓(^^)
http://keyboo.at.webry.info/200802/article_10.html