【天照大御神と須佐之男命 うけひの勝負(第1回目)】

書庫「神話学」は、この辺から重要部分なので、

神社本庁発行の神典解説資料なんかも紹介しようかと思いましたが、

とんでもない長文になるので、

戸松先生の著書の要点だけで勘弁してください(*- -)(*_ _)ペコ



出典:生存法則論 第一巻古事記解説(戸松慶議著)



うけひ、は受霊であり誓いであって、

魂と魂、文化と文明が結合一体化することによって、

新文化新生命を生み成り立てることを言っているのである。



天照大御神は太陽(光と熱)を表徴し、

万物万象を生成化育する神であるに対して、

須佐之男神は地震、暴風雨、噴火(建設のための破壊-革新のための闘争)

を表徴し、森羅万象を動かす力の神である。

天照大御神は道(しろしめす)を特質とし、

須佐之男神は力(うしはく)を特色としている。



道…宗教・倫理・道徳・教育

力…権力・武力・財力・法律



道とは何か(・_・?) 力とは何か(・_・?)

これは天津日嗣の原理に関する記事でもふれております(^^)b

参考にどうぞ(*- -)(*_ _)ペコ やたら長いけどね…(^^;)


天津日嗣(あまつひつぎ)について(最終回)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50983641.html


道と力は両立し一体化しなければ双方とも成立するものではない。

もとより道は力を超越するものであり、

力に方向を与えるものであって、

力の基礎でなければならない。

しかし力を離れて道の機能を発揮することはできない。

道と力は陰と陽のようなものである。

道を無視して力にのみ依存すれば暗黒(専制支配)となり、

力を軽視して道にのみ傾けば混乱(不統一無秩序)となる。

道と力が融和一体化して、事物は生成発展するものである。

うけひ、とは一体化を意味する。

二柱の神を人格化して夫婦又は姉弟として取り扱うのはこのためである。



天照大御神を皇室の祖と仰ぎ、宮廷的権威として崇め奉り、

須佐之男神を民衆的存在として類別し、

出雲族の開祖として区分することは一般的解釈になっているが、

これは神ながらの道に反するものであり、

「道と力の大儀」を冒涜するものであって、

却って贔屓(ひいき)の引き倒しになるおそれがある。

道と力は人間生活に不可欠の条件であって、

一日と雖も欠くことのできぬものである。

うけひの真義はその間の事情を伝えたものであるにほかならない。



天照大御神が理想世界高天原の統治者として位しているところへ、

いざなぎの命の命令に背き反抗して国を乱し、

禍に次ぐ禍をおこしている須佐之男神が、

天地を揺り動かしながら高天原に突入して来たのであるから、

高天原の平安と理想を護るため、

道の権威を打ち立ててこれを待ち受けた。

ここに道と力の劇的対立が主題化されることになる。

この二柱の神、即ち道と力の結合が、

神ながらの道(八神によって形成されている)の基本体系となったのである。

*八神とは「うけひ」で誕生した八柱の神様のことです。

八神は南方文明(アマテラス)と北方文明(スサノオ)の結合一体を意味し、

八方に展開する八神のはたらき、

つまり八幡神の神威を顕したものである。

所謂南北文明の結合による神道の集大成というべきである。



折口信夫先生(国文学者・民俗学者)も「全集二十巻四五六貢」にて、

以下のように述べられています。



我が国随神の道は、

高天原の理想「冶ろしめす(しろしめす)・道をもって統治する」と、

出雲の理念「領く(うしはく)・力をもって統治する」の

融合一体によって成立したものであることは、

天照大御神と須左之男命の「誓約(うけい)」

及び「国譲りの誓」に明らかである。



関連記事【八幡神とは(・_・?)】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52679808.html



次回に続きます(^^ゞ