書庫「社会学」の第4回目の記事となります(^^)


出典:天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)



【近代社会の誤謬について(第2回目)】


前回の記事はこちら↓(^^)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52754300.html


近代社会はこのように経済を万能とする商工業社会を基礎として、

人はすべて生まれながらにして自由であり平等であるという考え方に立って、

実証主義と合理主義を推進してゆくのであるから、


自由といえば欲望の自由、利益追求の自由、自由競争、生存競争、

適者生存、弱肉強食、優勝劣敗にならざるを得ない。

即ち欲望の制御、禁欲の自由、精神的共存共栄の自由、

調和均衡の自由などという配慮は殆ど見られない。




経済上の自由を無制限に主張する資本主義が政治の干渉を斥け、

かつ牽制を加え無政府的社会現象を呈するのは、

皆ここに原因があるのである。



自由主義、個人主義、民主主義の彼方に権利人権の主張があって、

義務・国権の衰退、無政府主義的混乱があるのは、全てこのためである。



この自由の観念に呼応して、

平等も等量の平等が基準となり「質・性・分」等は無視される。

だから男女平等、夫婦平等、兄弟平等、親子平等という悪平等となり、

男女は絶対異質、個性、固有の分別は否定され、

類型的無差別的人間獣を見るにいたる。

事実人間は十人十色万人各々その処を得て初めて個性美を発揮し、

妍を競うて文化を営むべきものである。

男女は絶対異質なるが故に平等たり得、一体となり得るのである。

差別の中に平等があり平等の中に差別があるという、

平等即差別の合理性は、遂に近代社会から姿を消してしまうことになる。

これは、近代社会が自然発生的な共同体を見失って来た結果によるのである。



以上2つの社会型につき、

共同体の典型として原始社会、利益社会の典型として近代社会をあげてきた。


ここに新しく「統治と自治の一体社会」として「協成社会」を紹介することにする。

この協成社会こそが「固有の政治社会」なのです。




人間は万人万様であると同時に、

社会的動物で集団生活をする性能を有するものなるが故に、

一元的一様的統一が絶対に不可欠である。

人間生活の本質からいっても、政治の本質から見ても、

多様性、個性、自由、個人のあるところに秩序を立て、

安定を保つためには「権力的に統合する機能が絶対に必要な条件」である。

(↑この部分には反論あり、と言う方が多いかも? 夜警国家万歳とか?(^^;)



自由主義国家において共産主義運動がおこるのはこのためである。

その意味において、後述する「協成社会」が最も合理的であり進歩的である。



次回「近代社会の終末」に続きます(^^ゞ