神道関連のHPを見ていたら、

以下のような記事がありました(-_-)ウーム



天照大御神の本質論議↓
http://www.inv.co.jp/~tenju/nakanishi/tensyo.html



↑の記事で私が気になった前半部分の記述だけを抜粋↓



――日神にして皇祖に坐す――

『 天神大御神 』研究編 (神道文化会編 昭和57年4月号抜刷)





天照大御神は、古事記・日本書紀などの古典によれば、「日の神」にして、

ときに、「み髪を解き、…み手に珠を纏き、…向股に踏みなづみ」、

あるひは「驚きたまひ」「怒ります」「喜びて」「新嘗きこしめす」等々、

身体的なみ働きを表示される。



また、伊勢の神宮をはじめ、出雲の日御碕神社などの祭祀において、

ご祭神の大御神に対しまつり、潔斎された食物衣服等が、

貴人の坐すがごとく献供され、

かつ、朝日または夕日への仰讃が貫かれてある。



しかも、現実に、空に輝く太陽と、地上に住まふ人間とは、

まつたく異なる事物と見うけられる。

よつて、大御神は、自然神であるのか、

または、人格神であるのか、

ことに明治後期以降、その論議がつきない。

欧米の科学を盲信すれば当然に起こされる疑問であった。



この「神格の二重性」に対し、

次のいづれかの調整が、しばしば表明されてきた。

一つは、元来は、人間であられたが、

その徳が高く大きいので、日光の輝きに準へた、とする。

他は、元来は、太陽への崇拝であるが、

皇祖への尊厳に結びつけた、とする。

その間に、多種多様の解説もあり、

また、細密な論究への苦慮も、見うけられた。

しかしながら、いづれにせよ、科学として寄りうる事実は、

人間であられたか、太陽であるのか、いづれか一方であり、

その他方の性格は、事実に基づかず、

政策その他の便宜による観念の所産にすぎず、

結局はフィクション(虚構)とされることになる。

それは、伝統の祭祀および古典に対する冒涜にならないであらうか。




ここで引用終了!



さて、この記事の要点として「神格の二重性」、

「大御神は、自然神であるのか、または、人格神であるのか、

ことに明治後期以降、その論議がつきない。」

てなことが述べられています。



(-_-)ウーム神明様が自然神or人格神か不明なんだって…

昭和57年かそこらに、こんな低レヴェルな議論してたの(・_・?)

と率直に思っちゃいました(;^_^A アセアセ・・・



これは「①皇位を天津日嗣(あまつひつぎ)の高御座」ということ、

そして「②皇統は血統だけではなく霊統を含むこと」、

古典研究から帰納的に導いた「③神道の神の概念規定・定義」、

大和神話には「④擬人法が多用」されていること、

などから「自然神」であることは明白でしょう。

仮に「人格神」だとすると辻褄が合わないことが多すぎます。



次回に続きます(^^ゞ 



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