「本当に、神道はあの戦争に加担する必然性があったのでしょうか?」



この質問に対する7回目の記事となります(*- -)(*_ _)ペコ



1回目の記事はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52108491.html


2回目の記事はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52124577.html


3回目の記事はこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52127505.html


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http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52143278.html


国家神道の概念規定についてはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52154092.html


明治の元勲たちが犯した天皇観の誤謬(第1回目)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/52227963.html



⑥「国家神道とは神道の本来あるべき姿なんですか(・_・?)」

⑦「神道古典に述べられる天皇統治の本質について教えて(・_・?)」



出典:天皇論-日本固有の道(戸松慶議著) 



【明治の元勲たちが犯した天皇観の誤謬(第2回目)】

折角彼(伊藤博文)が、


「欧州諸国には国家宗教というものがあって、

これが国民精神を統一する機軸となっていて深く人心に浸潤して

人心を統一している。日本にはそれに代わる宗教は無く、

あっても力弱くしてとても国民精神を統一するという代物ではない。

日本ではそれに値するものは皇室即ち天皇のみである。」
と、

国家宗教の役割を天皇に求めたにもかかわらず、

憲法制定にあたって天皇を権力の権化としたのは、

道と力、宗教と権力を混同し、


機軸の真義を解し得なかった結果によるものである。

(*道と力の差異などについては今後の記事でふれます(^^ゞ)



さらに、山県有朋も又ロシア皇帝の戴冠式に招かれてその荘厳さに驚嘆し、

爾後天皇及宮廷の権威を国内外に高めるために非常な努力を傾け

天皇を
大元帥陛下とし軍服(甲鎧)の着用をすすめ、

日本国皇帝として君臨せしめるにいたった。



事実上天皇は明治20年代から終戦迄の半世紀間は、

権力統治の皇帝であった。




それは種々の文書の上に、

日本国皇帝の文字が残っていることによって知られる。

文字の上の皇帝であるばかりではなく、

内容も次第に西欧化が浸透するにつれて、皇帝に変化して行った。

これらみな天皇観の誤謬がもたらしたものである。



このように明治の指導者たちが、

権威と権力、祭と政、道と力を混同し、錯覚して、

天皇の本質を規定し制定したものであるが故に、

他日混同され濫用せられるにいたったことは必然の帰結であった。




天皇は単なる権力的存在ではなく、

国民精神を統一する中心(天津日嗣皇命)であって、

甲鎧を身に着け、政治的大権を掌握し、

権力武力財力を帯びて立つ存在ではなかった。

その事は我が国の道統を記した古事記、日本書紀に明示されている。




伊藤や山県は、西欧諸国を先進国であるとし、

我が国を後進国であるとして、

一切万事西欧的に改め直すのが世界史の

必然的ルールであると考えて日本を指導したのであるから、

天皇が皇帝に変じ、

単なる権力の権化に位置づけられてしまったのである。

これはまったくの誤謬であった。



この流れをくむ戦後の進歩主義文化人たちは、

フランス革命、アメリカ独立革命、ソ連の革命、中国革命を目し、

君主制から共和制へと進み、

天皇と民主主義は両立するものでなく、

必然的廃帝になるものと信じて天皇廃止を主張しているのであろう。



関連記事【君主制と共和制の対比】についてはこちら↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50009074.html



明治の天皇擁立と戦後の天皇廃止とは、

一見矛盾するように見られるが、

近代西欧文化の潮流を原則とする限り、

表と裏の違いはあってもその本質は、

全く同一性のものであると断ぜざるを得ない。

したがって
道統を無視した明治の知識も、戦後の知識も、

共に行過ぎであり誤謬であると言わねばならない。




次回「天皇統治の本質とは(・_・?)」に続きます(^^ゞ