「ウエペケレさん」から以下のような質問がありました(^^)
「う~ん。神道のどこが家族主義なのか、教えていただけるとうれしいです。」
Q&A【家族主義】とは?
家族内にみられる人間関係や生活態度ないし意識を、
家族以外の社会集団へも広げ適用しようとする考え方。
また、これに基づく制度や慣習。(大辞泉より)
この質問について「敬神崇祖」という観点から回答したいと思います。
当初は「神社の歴史」という観点から
説明してみようかと思っていましたが変更させていただきました。
敬神崇祖は神道の基本理念の一つです。
その根底には人の命は不滅であり、祭祀を通して連続 し、
やがて子孫また家の守り神として信仰されるとの
古くからの日本人の宗教意識(=敬神崇祖一体観)があります。
江戸時代に国学者により強調されて、明治以降に広く普及しました。
1956年神社本庁制定の敬神生活の綱領の中に
「神の恵みと祖先の恩とに感謝し、
明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。」
があり、この思想が活かされているようです。
さて、神道では 「生みの神観(生成論)」 といって、
神が自然界の森羅万象を生んだということから、
神人は親子関係という思想につながり、神と人間を同質とみています。
これを 「神人同質」 といい、さらに 「万物同根」 につながります。
神道古典の「記紀」では天皇家の祖神とされる天照大御神は、
この現実世界になくてはならぬ
太陽をシンボルとする神の形で君臨しておられますが、
記紀には非常に多くの神々がお生まれになって、
多彩な自然現象や自然物に姿を変え、
持ち場を担当するようになったという説明がなされています。
しかも神々がお生まれになるのは、
全てが超自然的にお生まれになるのではなく、
神々の婚姻によってお生まれになるのです。
神道における神は、
一神教におけるゴッドとは全く異なり、
家族的な神霊観・世界観によって支えられています。
縄文時代(あるいはそれ以前)からの日本の自然観・神霊観を、
文字の形で集大成した記紀には、
カミは「生まれて生むもの。わが身を分割して別の神々を生む存在」
として描写されているのです。
こうした「同族・血縁」感覚は、世界宗教には存在しません。
水も空気も土も木も金属も、人間をふくむ動植鉱物も、
森羅万象がみな神の子なのです。
伊邪那岐命・伊邪那美命の両神が、
日本の国土を「生んだ」という、「国生み」においても、
日本が小さな島々にいたるまで、
温かい高天原の親神の慈愛の対象となっているのです。
神々と国民の関係は一神教のような契約関係ではありません。
このような神観・人間観・自然観から、家族主義をはじめ、
親子一体・八紘一宇・君臣一体・忠義孝行などの考えが自然にでてくるのです。
明治天皇の御製に、
「よものうみ みなはらからとおもうに などてなみかぜの たちさわぐらむ」
というものがあります。
意味ですが、
「世界の海よ みな同じ海と思うのになぜ おたがいに殺しあうのだ」
という意味だそうです。
一方、キリスト教の聖書に出てくる 「創造神観」では、
人間は神によってつくられた存在とみています。
つくった者とつくられた者にはどうしても隔たりができてしまいます。
また、仏教は「悟り・解脱」を最高至上のものとしています。
神と人間の関係を説くのではなく、人間自身の生き方を、
人間自身に根ざして追求するところに、
他の世界宗教には見られない仏教の最大の特色があります。
日本仏教は完全に先祖崇拝と結び付いてますが…(^^;)
関連記事【先祖崇拝の意義1】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/44674313.html
「う~ん。神道のどこが家族主義なのか、教えていただけるとうれしいです。」
Q&A【家族主義】とは?
家族内にみられる人間関係や生活態度ないし意識を、
家族以外の社会集団へも広げ適用しようとする考え方。
また、これに基づく制度や慣習。(大辞泉より)
この質問について「敬神崇祖」という観点から回答したいと思います。
当初は「神社の歴史」という観点から
説明してみようかと思っていましたが変更させていただきました。
敬神崇祖は神道の基本理念の一つです。
その根底には人の命は不滅であり、祭祀を通して連続 し、
やがて子孫また家の守り神として信仰されるとの
古くからの日本人の宗教意識(=敬神崇祖一体観)があります。
江戸時代に国学者により強調されて、明治以降に広く普及しました。
1956年神社本庁制定の敬神生活の綱領の中に
「神の恵みと祖先の恩とに感謝し、
明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと。」
があり、この思想が活かされているようです。
さて、神道では 「生みの神観(生成論)」 といって、
神が自然界の森羅万象を生んだということから、
神人は親子関係という思想につながり、神と人間を同質とみています。
これを 「神人同質」 といい、さらに 「万物同根」 につながります。
神道古典の「記紀」では天皇家の祖神とされる天照大御神は、
この現実世界になくてはならぬ
太陽をシンボルとする神の形で君臨しておられますが、
記紀には非常に多くの神々がお生まれになって、
多彩な自然現象や自然物に姿を変え、
持ち場を担当するようになったという説明がなされています。
しかも神々がお生まれになるのは、
全てが超自然的にお生まれになるのではなく、
神々の婚姻によってお生まれになるのです。
神道における神は、
一神教におけるゴッドとは全く異なり、
家族的な神霊観・世界観によって支えられています。
縄文時代(あるいはそれ以前)からの日本の自然観・神霊観を、
文字の形で集大成した記紀には、
カミは「生まれて生むもの。わが身を分割して別の神々を生む存在」
として描写されているのです。
こうした「同族・血縁」感覚は、世界宗教には存在しません。
水も空気も土も木も金属も、人間をふくむ動植鉱物も、
森羅万象がみな神の子なのです。
伊邪那岐命・伊邪那美命の両神が、
日本の国土を「生んだ」という、「国生み」においても、
日本が小さな島々にいたるまで、
温かい高天原の親神の慈愛の対象となっているのです。
神々と国民の関係は一神教のような契約関係ではありません。
このような神観・人間観・自然観から、家族主義をはじめ、
親子一体・八紘一宇・君臣一体・忠義孝行などの考えが自然にでてくるのです。
明治天皇の御製に、
「よものうみ みなはらからとおもうに などてなみかぜの たちさわぐらむ」
というものがあります。
意味ですが、
「世界の海よ みな同じ海と思うのになぜ おたがいに殺しあうのだ」
という意味だそうです。
一方、キリスト教の聖書に出てくる 「創造神観」では、
人間は神によってつくられた存在とみています。
つくった者とつくられた者にはどうしても隔たりができてしまいます。
また、仏教は「悟り・解脱」を最高至上のものとしています。
神と人間の関係を説くのではなく、人間自身の生き方を、
人間自身に根ざして追求するところに、
他の世界宗教には見られない仏教の最大の特色があります。
日本仏教は完全に先祖崇拝と結び付いてますが…(^^;)
関連記事【先祖崇拝の意義1】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/44674313.html