以下の記事は「ウエペケレさん」のコメントに対する回答となります。

なかなか納得してもらえないようですね~(-_-)ウーム



ウエペケレさんがコメントしてくれた記事です↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/51946785.html



ウエペケレさんのコメント>

かんながらさん、とてもご丁寧にお答えくださってありがとうございます。

どんなにおこころをこめて書かれたかと思い、大切に私の質問

を請けてくださったことに、心から感謝を感じます。

しかし、ごめんなさい、私はもともと、日本人には信じがたいほど、

論理的です。(日本人ではないのかも。わたしの祖母の眼は灰色でしたから。)

論理的に納得できなければ、納得できません。

多くの日本人は、手間と暇とエネルギーを多大にかけると、

「わかった」といいます。しかし、例えばヨーロッパ人は、そんなことは関係ないのです。

中国人もオーストラリア人もそうです。それが話し合いの世界スタンダードですよ。



私の回答>

心をこめても納得できない説明では意味ないですね(*- -)(*_ _)ペコ

それと「かんならが」ではなく「ホンダ」と申します(^^;)



ウエペケレさんのコメント>

私にも申し訳ないけれど、

あなたがどれだけ心をこめてこの回答を書いてくださったかは、

論理には関係ありません。すいませんが、

私は喧嘩をしているつもりではないんですよ。これは文化の違いです。

しかし、神道が生きていこうとすれば、

世界で生きていかなければ、意味がないでしょう?

内輪だけで、エライえらい、すごいスゴイっ

て、そんな小さい価値しかないんでしょうか?

神道は。お能などと同じようにお神楽や神道の伝承は、

意味が世界中に評価され得る文化ではないでしょうか?

神道の文化伝承は、きちんと世界に立っていけるかどうか、という話です。



私の回答>

喧嘩する意味がないかと…(^^;)

「世界中に評価され得る文化」として認識していただくには、

諸外国人に対して、日本文化の基底ともいわれる神道について、

説明できる答案を用意しておくことが必要ですね。

先ずは目の前の「ウエペケレさん」に説明できないと(;^_^A アセアセ・・・



ウエペケレさんのコメント>

何かを論じるときには、その物事の筋が通るか通らないか、

それを論じなければ、論じる価値自体初めからないんです。

そんな気がする程度の論理なら、論理など初めからありませんし、真理もありません。

押したり押されたりの強さ比べならば、私はしません、はい、

今すぐでも止めましょう。私は攻撃をしているように見えるかもしれませんが、

神道がきちんとした姿になってほしいです。

立派な伝統をもつ神社の神主さんであるカンナガラさんが、

フランス人にもドイツ人にもアフリカの人にもイスラエルの人にも

きちんと説明できる知性と理性をもって、

神道を神社を伝えて欲しいと思って、はじめの質問を出しました。

私は、真面目さ比べ、根競べをするつもりも全くないんです。

本当にすいませんけれど、上の論は、ヨーロッパ人には通じない、私はそう考えます。



私の回答>

私も真面目さ比べ、根競べをするつもりはありません。

筋が通るように説明いたします(*- -)(*_ _)ペコ




ウエペケレさんのコメント>

本題にかえります。

あなたが表題にあげたのは、「神道における家族主義とは」であり、

あな説明・証明したのは、「神道の共同体的意味」です。

はじめ問題設定をして応えようとしたのは、

あなたであり、出題者が誰であるということはもう殆ど問題ではありません。

家族主義と共同体を統合する機能は、具体的には、

確かに重なる部分もありますが、異なる部分も大きくありますね。

だからこそ、カンナガラさんは、最後に強引に、「ゆえに、

神道は家族主義である」と結論付けられませんでした。

流石!賢明な方です。カンナガラさんご自身が結論を出しておられます。

神道の儀式は共同体統合の機能は果たす。

(しかし、それを家族主義と呼ぶには距離がある)



私の回答>

神道の祭りに共同体を統合する機能が強いことを説明できれば、

同時に神道が「家族主義」の立場

にあることを説明できていることになりますよ。

それはなぜか? 世界宗教と比較しながら補足説明致します。



古代から先人が神道の祭りに

「共同体を統合する働き」=「共同精神や連帯責任意識を高める機能など」

をもたせてきた背景には、

「地縁共同体・血縁共同体」の一員としての「同朋意識・同族意識」

からなる「家族主義」があると言えます。



Q&A【家族主義】とは?

家族内にみられる人間関係や生活態度ないし意識を、

家族以外の社会集団へも広げ適用しようとする考え方。

また、これに基づく制度や慣習。(大辞泉より)



ここで「家族主義の特徴」を確認してみましょう(^^)b



家族または家庭は、

①自然発生的にでき上がったものであって人為的につくられたものではない。

②帰一すべき中心を有し、統一が自ら保たれている。

③調和が条件となり原則となっている。
 
④他の集団に見られぬ強い一体感によって結合している。

 これが家族主義の一大特長であると同時に短所であり欠点である。

⑤自然発生的存在であるが故に、不可抗的存在になり、

 改革や革新を阻止し、現状維持たらしめる。

⑥家長中心であり、各自は各々の分限を発揮してよく統一するが、

 万が一にも家長が愚かで我儘でなまけ者である場合は、

 全くその家庭は悲劇であり、哀れである。

⑦調和と和合が家の生命であるが故に、

 新文明や外来文化の導入を拒みその価値を認めないから

 動脈硬化し安定しながら行き詰る。



どうでしょう?

①~⑤の全て当てはまりますよね?



神道の祭りは「共同祭祀」を基本としているのですが、

これは稲作文化と結びつき自然発生的にできたものです。

個々人の「契約」などに基づくものではありません。

①は該当します。



帰一すべき中心はもちろん共同体を統合するお祭りです。

②も該当します。



共同祭祀を基本とするのですから、

もちろん③④は該当します。



⑤は典型的な家族主義の性質でしょうか。



神道の祭りに「共同体を統合する機能」をもたせてきた背景には、

先人の典型的な「家族主義」があると言えるのです。



⑥についてですが、

日本では神道の祭主たる天皇陛下が、

皇祖にして日本国民の総氏神様の祭祀をしています。

今では私的な祭祀とされておりますが…

戦前の大家族主義時代には家長という存在でした。



それでは、比較対象としての「世界宗教」はどうでしょか?

私も全く「家族主義的な要素」が無いとは思いません。

元始の世界宗教には「家族主義」が含まれていると思います。



しかしながら、「聖書」を旨とする宗教(=宗教圏)においては、

「個人」を立脚点とすることによって、その教えが成立します。

つまり、人(=個人)は、神(=神の教え)を信ずることによって、

神に救われると云う、「神対個人」の関係で、

世界中へ浸透してきました。

仏教の教えもまた、おなじく「仏対個人」の関係にあります。



これらの世界宗教においては、神又は仏を

「信ずる者は救われるが、信じない者は救われない」とする。

これは、宗教の基本的基盤が、

この考え(思想)でなければ成立しないからです。

つまり、「信ずるものは救われる」と云う前提の下に、

世界宗教が成り立っています。
 
 

神道のようにAという地に生まれたら、

半自動的にその地の氏神を祀っている神社の氏子(信者)

になるというような家族主義に基づく「慣習」は無いのです。

これは「共同祭祀」を基本とする神道独特のものでしょう。



Q&A【慣習】とは?

1 ある社会で古くから受け継がれてきている生活上のならわし。

「古い―を破る」

2 慣れること。(大辞泉より)



氏神(うじがみ)さまは、

もともとは一族が共同でお祀りする神さま(血縁的な神)のことをいい、

産土(うぶすな)さまとは本来、

私たちが生まれた土地の神さま(地縁的な神)をいいました。

また、鎮守(ちんじゅ)さまとは、

集落に住む人々や建物を守護する神さまのことを指しました。



今日では、氏神さまも産土さまも鎮守さまも、

生まれた所や住んでいる地域の人々の暮らしを

お守り下さる神さまとして、同様に考えられており、

総称して「氏神さま」といわれることが多いですね。



地域住民全体の神様という意味合いが強いのです。

神道の祭りは「個人の自由とか意志という範囲を超えた行事」です。

そこに「契約思想」などありません。



氏神さまを共同で祀る一族を氏子(うじこ)といい、

お祭りのお神輿を担ぐのは氏子に限られていましたが、

今日では産土さまも鎮守さまも、

神社のある地域に住む人を氏子と呼称しています。



他のコメントに対する回答は別に記事を書きますね(^^ゞ