先日、私が以前に更新した以下の記事に、

神職の「カッツェさん」から次のようなコメントがありました。



天津日嗣(あまつひつぎ)について(最終回)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50983641.html



『私は神職ですが、天皇陛下はあくまでわれわれと

 なんら変わることのない一人の人間です。

 その個人を我々はあまりに高いところまで上げている気がします。

 現在の神社神道は天皇陛下を頂点とする天皇教という、

 一種の新興宗教の様相を呈しているように感じるのを否めません。

 伝統だけでは神道に深みを与えることはできません。

 皇室を過剰に尊重するあまり、神道そのものが遠ざけられようと

 しています。皇室の尊厳を護持することはできても神道は毒にも、

 何の慰めにもならず次第に衰退していくでしょう。

 私はそれが残念でならないのです。』



もし本当に同じ「神職さん」のコメントだとすると、

私は心底残念に思います(-_-)ウーム



①「天皇陛下はあくまでわれわれとなんら変わることのない一人の人間です。」



あんまりハッキリ書くと、

単なる「他人の批判」に聞こえるかもしれませんが、

私には「国学」を習得している神職の発言とは思えません(-_-)ウーム

天皇の形態は、以下の記事でふれている「三生面」からなるものです。



関連記事【天皇の形態(第5回目-人間天皇)】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50908963.html



②「その個人を我々はあまりに高いところまで上げている気がします。」



我々が(・_・?) 上げている?(^^;) ご冗談を!



まさか「宝鏡の神勅」をお忘れですか???



「吾児この宝鏡を見ませんこと当に吾を視るが如くすべし、

 共に床を同じくし、殿を共にして斎鏡と為すべし。」

古事記には、

「此の鏡は専ら吾が御魂として、吾が御前を拝くが如くいつき奉れ。」

即ち、

「此の御鏡を視ること猶吾を視るが如くすべし、

 吾は宇宙根本の大本である天之御中主と共に、

 この御鏡に神留りに鎮まりて、

 悠久無限に天津日嗣の皇業を照覧守護し参らすべし。」

との大御心です。



歴代の天皇は毎朝宝鏡を拝して天照大御神に対面し、

その御精神を体して一体となり、

かくて天照大御神になり切って、その大御心を国民に注がれ、

これを受けて立つ国民もまた

万物万象を生成化育発展につとめられるのであります。

これがお鏡御拝の精神であります。



天照大御神とは、太陽を宗教的表現であらわしたものであって、

太陽が熱と光をもって万物万象を生成化育するように、

偉大な人間がその徳光と熱情をもって

万民を公平無私遍く生成化育発展繁栄せしめる「実存の作用」を、

擬人法で天照大御神と仰ぎ崇め奉ってきたのである。

この国民全体の尊崇を集めた太陽のごとき真に偉大な祖神を

天照大御神であるといい、太陽の霊光と霊熱の作用を霊統とし、

血縁を血統として合わせ相続し、

霊妙なるはたらきを万民に施し授ける人を天皇というのである。



関連記事【日本の神観について】
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/24400485.html



同床共殿の業は、

寝ても起きても四六時中天照大御神と御同座あらせられると、

いうことであって、

余程の修行を積み鎮魂を重ねなければできるものではない。

自己超越的脱皮を遂げるのが所謂天津日嗣の天皇と仰がれ、

現津神、現人神といわれる所以である。



然るにヒューマニズム文化思想の上に立つ人々は、

天皇も肉体を有せられる「単なる人間」であるに過ぎないから、

これを神として取り扱うのは誤りであるあるとする者が

圧倒的多数を占めているのは、この理を解しないからです。

天皇の本質に関し、国体の本義について、

多くの謬論が出るのはこのためである。



天皇はあくまでキリスト教的ゴット(神)になるのではなく、

天津日嗣の天皇となるのである。



③「皇室を過剰に尊重するあまり、神道そのものが遠ざけられようと

  しています。皇室の尊厳を護持することはできても神道は毒にも、

  何の慰めにもならず次第に衰退していくでしょう。」



今の神社界が皇室の尊厳を護持?( ̄∇ ̄;)  

またまたご冗談を!( ̄m ̄〃)
 


現憲法に規定せられた「象徴天皇」の如きは、

天皇の本来性を否定するものであって、本末転倒も甚だしく、

これが持続は天皇陛下&神道の死滅を意味するものです。

これを「本気で支持」している神社関係者もいるようですね。

そんなことで「尊厳」とやらが守れるんでしょうか???



それはご先祖様が守り続けてきた歴史・伝統を

あくまで否定し続ける態度でしょうヽ(`д´;)/うがぁ!



象徴は「選択意思乃至選挙が前提」とされる。

いわゆる民選の皇帝即ちアメリカの大統領の別名である。



被選者としての天皇は、国民を主体とする客体にほかならない。

もし仮に国民主体を認めるとしたら、天皇の天津日嗣の原理も

天壌無窮の原則も万世一系の理念もすべて崩壊することになる。



歴史・伝統を無視した連合軍の占領政策は、

横暴の極に達したと言えよう。

彼らはアメリカ建国の歴史を絶対視し、

普遍主義・グローヴァリズムの美名の下、

君民一体の国体(くにがら)を寸断してしまった。



いのししさんが関連記事を書いてくれてました!(^^)
http://inosisi80.iza.ne.jp/blog/entry/146900



最終的に神職がやるべきことは、

国民精神の充実と宗祀国教の確立、

天皇陛下と国本国体を明確にすることではないですか?