天皇の形態(第3回目)

今回は「経典の天皇」について学んでおきます(^^ゞ
 



「天皇陛下の祭祀にはどんな意味があるんだろう(・_・?)」

こんな疑問をお持ちの方に読んでいただきたい記事です(*- -)(*_ _)ペコ



出典:天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)



天皇の形態(第1回目)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50768621.html


天皇の形態(第2回目)
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/50774753.html



経典の天皇は、
日本民族の道統(建国の理念&理想&精神)・神ながらの道

を万邦兆民に伝道宣布してその実現を図るための使命任務を遂行して、

自ら経典となって範を万民に垂れ給う面の天皇である。



民族固有の道統は何によって維持され実現されるかといえば、祭儀であり、

祭儀はまた道統によって支えられ維持されるものである。

民族の道統はかくして国家においては祭儀となり、

祭儀を通じて、「伝統・習慣・権威・礼儀・威儀・節義・態度・躾」等

国民精神を形成する基本条件を身に修め心に刻むものである。



さて、ここまで読み進めて、

戦後教育を受けてきた多くの方々には反論があると思います。

例えば…


「それは国家による一種の思想の統制みたいなもんじゃないかヽ(`д´;)/うがぁ!」

「国民宗教は政教分離の原則に反するだろヽ(`д´;)/うがぁ!」


どうか反論は以下を全部読んでからお願いします(*- -)(*_ _)ペコ

ちゃんと理由があります!(;^_^A アセアセ・・・



民族性即ち国民性は人間生存の根本規定であり、

そしてその民族と他の民族との区別は、

血統と地理的条件とを止揚契機として共同の歴史と伝統をもつことである。

と同時にその国民が自民族の道統を不動の権威によって表現し、

自覚することによって生ずるものである。



民族性や国民性が歴史的共同性にあるということは、

生活環境と道統に照応することであるが、

ここに我々は「
その国の生存と道統との関連」を見逃すことができない。



◎ここからが重要!(^^)


人間は社会的動物であると同時に、創造的動物である。

人間は生まれながらにして共同的であると共に個別的存在である。

そしてこの「
共同性と個別性を可能ならしめるもの」は道統である。

民族性ないし道統は、個々の存在の共通要素の基盤として考えられる。

単なる共通性からは道統は成立しない。

自覚の伴わない共同生活は「
群衆」でしかあり得ないからである。



道統は個々人の存在と行為をこえてこれを統べ、

公共体全体の共通基盤即ち超越性でなければならない。

この人間の個別性と共同性及び超越性が自覚されて、

初めて道統が成立するのである。



道統を離れて民族文化は成り立たない。

道統を維持伝承するのが「祭儀」であり、

祭儀の中心に位するのが天皇なのです。



おそらくここまで読んでも、

「道統なんて本当にそんなに大切なもんなのかね~(・_・?)」

と思っている方々も多いのではないでしょうか?(^^;)



現憲法は民主主義を基調とするものであり、

民主主義は個人を基礎とするものであるが故に、

必然的に社会的統一性の「国教」を成り立てなければ

社会生活を維持してゆくことが困難になります。

我が国は扇の要に値する「国教」を規定することなく、

多元的分裂国家として与野党が敵国の如く対立しています。

欧米諸国においてはキリスト教を国教となし、国民精神の統一を図っており、

共産主義国家にあては共産主義思想をもってこれに充当し、

憲法を内面より支えているのです。



明治初年以降摂取してきた西洋文化も

近来あらゆる方面に破綻を生じ自壊作用を起こしつつある。

それは近代啓蒙思想の個人主義と自由主義が、

契約と多数決を基本として成立しているからである。

契約と多数決の原理は、

封建制を打破するに大きな使命を果たしたが、

しかし、人間を限りなく人間本位自己本位にし、

自然の法則を無視する要因を内包している。

現今の政治経済、宗教教育、科学芸術、

道徳倫理等が行き詰まっているのは実にこのためである。



我が国は戦前まで天皇が国民精神統一の役割を果たしてきたが、

戦後は天皇を専制君主と錯覚してこれを退け、

これに代わる国民精神の基準となる国教を定めないまま、

個人の自由と解放を一方的に主張してきました。

(今の日本に必要なのは「解放の自由」ではなく「秩序の自由」です!)



そのため、国民精神の統一はおろか、

国家社会の「秩序を維持する共通基盤」をも定めず、

群雄割拠さながらの「思想戦国時代」を政党政治の名で展開して来たのです。



国民は道統を維持し存続することによって生存し得、

そしてその生存の意義を知るのである。



人間生活は現実的様々の制約や種々の立場の相違によって一様ではないが、

しかし国民共同体は必然的に国民精神を統一する

道統を維持することによって達成される。



一般に人の道とは具体的にはこの道統への通路をいい、

そして倫理道徳とはこの通路の自覚をいうのである。

戦後、法律の自律性を裏付ける道義即ち日本の道統精神が崩壊…(-_-;)



歴史的民族の生命である道統を無視して人倫道義はなく、

また国民精神の統一はあり得ないのです。



もし何らかの理由で民族精神の統一が阻まれ分裂するようなことがあれば、

必然的に国家統一が崩れ対立を生じ混乱がおこり、

国民生活は危険にさらされ不安に陥ることになる。

これを未然に防止するのが祭儀である。

祭儀は、国民精神統一の重要な行事である。



ソ連や中国が人民広場や天安門広場において行う革命記念日の人民大会は、

革命精神の徹底と国民精神統一のための大祭である。

すくなくともその役割を果たしているものであるといえる。



次回は「地位の天皇」について記事にします(^^ゞ