天津日嗣(あまつひつぎ)について、第3回目の記事となります(^^ゞ
出典:「天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)」
第1回目の記事です↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/47178330.html
第2回目の記事です↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/47701998.html
国常立神、くにのとこたちのかみ、「くに」は国、「とこ」は永遠、「たち」は存在を表している。
天常立神に対する国常立神である。
宇宙天体と地球の関係をいったものと考えられる。
この神と不可分の神でしかも共に別天津神と同じく、
独り神であって隠れ身の神である豊雲野神(とよくもぬのかみ)がある。
豊雲野神、とよくもぬのかみの、「とよ」は沢山、多くの、
「くも」はくむ、組、組織、組み立てる、
「ぬ」は野、野原、場所、即ち国常立神が地球であるに対し、
豊雲野神は地球の活力、エネルギー、生命の作用を表す。
つまり、この地球上にこれから種々様々の物が「生成」する
ということを意味していると同時に、
事物の組成する場所であるという意味である。
宇比地邇神、うひぢにの神、
「うひ」の「う」は上、表面、浮く、「ひぢに」は泥土、
即ち地球の表面を表している。
妹須比邇神、いもすひぢにのかみ、
「いも」は女、陰、内面即ち裏面を表している。
「す」は素、生地、砂、岩盤をいう。
即ち宇比地邇神の下に隠れている地球の表面に対する内部のことである。
角杙神、つぬぐひの神の「つぬ」は、角のこと、
「ぐひ」は植物が杙を立てたように生えている様をいう。
妹活杙神、いもいくぐひの神、
「いも」は前述したように女、陰、内面即ち裏面を表している。
「いく」は生きる、生物特有の生命作用のことを表している。
「ぐひ」はこれも前述したように植物が杙を立てたように生えている様をいう。
角杙神(つぬぐひのかみ)は植物の外面的象の事をいうのに対して、
妹活杙神は植物の内面にはたらく生命の作用を表している。
意富斗能地神、おほとのぢの神の、「おほ」は大、
「ほと」は「ほ(秀)」と「と(処)」、
秀でているところとは生殖器、「ぢ」は、男、
つまり、雄の生殖器をもっている動物のことである。
妹大斗之弁神、いもおほとのべの神、
同じく、「べ」は女、雌の生殖器をもっている動物のことである。
植物に比して動物は雄雌別箇に存在している。
別箇に存在しているところに妙味がある。
もし両性同居していたら繁殖のあまり死滅していたであろう。
動物の性殖は空間的規制のほかに、
時間的にも春と秋に規制されている。
この時間空間の制約を無視して性を解放すれば、
それだけでも天地の理に反して滅亡する。
この厳粛な事実に眼を開かねばならない。
植物と動物の差を名義で示しているところに日本神話の深遠幽玄さが感じられる。
皆さんも凄いと思いませんか?(^^;)
淤母陀流神、おもだるの神の「おも」は、面、外面からみたところ、
「だる」は、足る、欠けるものがない、状態をいう。
鉱物・植物・動物等、ありとあらゆる条件が全部そろったということを表す。
妹阿夜訶志古泥神、いもあやかしこねの神の「あや」は、
感動詞ああ、やあなどと同じ、「かしこね」は、もったいない、恐れ入った意味である。
地球上に何もかも十分に出揃った有様をいい、
「いも」は、それを内面から見て全く誠に有難くてもったいないことで、
ただただ恐れ入るばかりであるという意味である。
天然自然に感謝する心が見られる。これが宗教の根本精神である。
満ち足るを知り感謝の心をおこすことが神を発見し、
救世救民のはたらきとなって現れるのである。
↑さすが大先生イイこと言うな~とか思った(^^;)
次回(第4回目)に続きます(^^ゞ 八百万の神様だけに長すぎです(;^_^A アセアセ・・・
出典:「天皇論-日本固有の道(戸松慶議著)」
第1回目の記事です↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/47178330.html
第2回目の記事です↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/47701998.html
国常立神、くにのとこたちのかみ、「くに」は国、「とこ」は永遠、「たち」は存在を表している。
天常立神に対する国常立神である。
宇宙天体と地球の関係をいったものと考えられる。
この神と不可分の神でしかも共に別天津神と同じく、
独り神であって隠れ身の神である豊雲野神(とよくもぬのかみ)がある。
豊雲野神、とよくもぬのかみの、「とよ」は沢山、多くの、
「くも」はくむ、組、組織、組み立てる、
「ぬ」は野、野原、場所、即ち国常立神が地球であるに対し、
豊雲野神は地球の活力、エネルギー、生命の作用を表す。
つまり、この地球上にこれから種々様々の物が「生成」する
ということを意味していると同時に、
事物の組成する場所であるという意味である。
宇比地邇神、うひぢにの神、
「うひ」の「う」は上、表面、浮く、「ひぢに」は泥土、
即ち地球の表面を表している。
妹須比邇神、いもすひぢにのかみ、
「いも」は女、陰、内面即ち裏面を表している。
「す」は素、生地、砂、岩盤をいう。
即ち宇比地邇神の下に隠れている地球の表面に対する内部のことである。
角杙神、つぬぐひの神の「つぬ」は、角のこと、
「ぐひ」は植物が杙を立てたように生えている様をいう。
妹活杙神、いもいくぐひの神、
「いも」は前述したように女、陰、内面即ち裏面を表している。
「いく」は生きる、生物特有の生命作用のことを表している。
「ぐひ」はこれも前述したように植物が杙を立てたように生えている様をいう。
角杙神(つぬぐひのかみ)は植物の外面的象の事をいうのに対して、
妹活杙神は植物の内面にはたらく生命の作用を表している。
意富斗能地神、おほとのぢの神の、「おほ」は大、
「ほと」は「ほ(秀)」と「と(処)」、
秀でているところとは生殖器、「ぢ」は、男、
つまり、雄の生殖器をもっている動物のことである。
妹大斗之弁神、いもおほとのべの神、
同じく、「べ」は女、雌の生殖器をもっている動物のことである。
植物に比して動物は雄雌別箇に存在している。
別箇に存在しているところに妙味がある。
もし両性同居していたら繁殖のあまり死滅していたであろう。
動物の性殖は空間的規制のほかに、
時間的にも春と秋に規制されている。
この時間空間の制約を無視して性を解放すれば、
それだけでも天地の理に反して滅亡する。
この厳粛な事実に眼を開かねばならない。
植物と動物の差を名義で示しているところに日本神話の深遠幽玄さが感じられる。
皆さんも凄いと思いませんか?(^^;)
淤母陀流神、おもだるの神の「おも」は、面、外面からみたところ、
「だる」は、足る、欠けるものがない、状態をいう。
鉱物・植物・動物等、ありとあらゆる条件が全部そろったということを表す。
妹阿夜訶志古泥神、いもあやかしこねの神の「あや」は、
感動詞ああ、やあなどと同じ、「かしこね」は、もったいない、恐れ入った意味である。
地球上に何もかも十分に出揃った有様をいい、
「いも」は、それを内面から見て全く誠に有難くてもったいないことで、
ただただ恐れ入るばかりであるという意味である。
天然自然に感謝する心が見られる。これが宗教の根本精神である。
満ち足るを知り感謝の心をおこすことが神を発見し、
救世救民のはたらきとなって現れるのである。
↑さすが大先生イイこと言うな~とか思った(^^;)
次回(第4回目)に続きます(^^ゞ 八百万の神様だけに長すぎです(;^_^A アセアセ・・・