「先祖崇拝の意義1」の補足となります(^^ゞ


【先祖崇拝の意義1】↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/44674313.html


神道によれば、人は神の子である。これはキリスト教がいう「神の子」とはまた違う。

キリスト教では人間は神によって造られたものであるが、
神道では人間は文字通り神の子供であって、神の一族なのである。

こう書くと不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、実際は「生む生命作用そのものを基本」とするか、
生命の属性としての考える作用の理性」を基本とするかによって、人間観や神観が違うだけのことなんです。


一応この部分を再確認しておきたいと思います(^^)



【1,キリスト教は生命の属性としての考える作用の理性を基本としている】

キリスト教は救済と創造を至高至尊としている宗教ですが、
神が森羅万象を創造した主であり、万物は神の被造物である。

神は天地をつくり、日月星辰をつくり、水火風雨をつくり、春夏秋冬をつくり、
昼夜をつくり、動物植物をつくり、最後に神に似せて人間をつくったという。

キリスト教の神(ゴッド)は人格神であります。


Q&A 【人格神】とは(・_・?)

人間的な容姿・意志・感情をもって、人間と交わりを結ぶと信じられている神。
未開宗教におけるマナ的な力の観念や近世の合理主義的宗教における神性の観念に対比して、
特に人格性の明瞭な崇拝対象をいう。三省堂提供「大辞林 第二版」より


人間を創造主の「理性」によって造られた客体(被造物)
として捉えており、ここに「生命断絶」が見られます。



【2,神道は生命作用そのものを基本としている】

代表的な神道古典の一つ「古事記」に於いて、
我々の先祖は森羅万象がどのように誕生したと神話しているでしょうか?

結論から書いてしまうと、宇宙の生成力を神格化した「産霊(むすひ)」の神様、
人間に超越する宇宙自然法則・生命作用から「生れた」存在として捉えているのです。


Q&A【産霊(むすひ)】とは(・_・?)

「むす」は生み出す、「ひ」は霊威の意。後世「むすび」とも
天地万物を生み出す神霊。また、その霊妙な力。

「次に神皇―の尊(みこと)/日本書紀(神代上訓注)」三省堂提供「大辞林 第二版」より


神典解説資料(1)古事記解説(神社本庁発行)からも参考にふれてみたいと思います。


『①古事記の冒頭は生成の霊威、「むすひの神」に対する古代人の直接の表現・信仰に他ならない

神話学者の松村武雄博士は、

日本民族は「生成」ということに最も関心を有していた。

古き世のわが国人にとっては、おのれをめぐる世界は、
一に生成が永遠に亘って相繋がる世界として把握されていた。

一派の学者たちが、日本民族の観じた世界は「在ることの世界」ではなくして、
創造することの世界」であり、我が国に於いては西洋の徒が「在る」と見るところを
撥無(はつむ-否定)して、すべてこれを「生る」と考え且つ信じたとなしているが、
こうした見方にはそれだけ妥当性があると思う。


日本民族には「あれ」が一大事であった。

あれ」は西の国の人々が受け取るような単なる「在ること」では決してない。

それは出現であり、誕生である。

こうした民族は当然「凡て物を生みなすことの霊威なる神霊
に強く且つ永く注意関心を集中した筈であり、そして実際の事実は、
その然ることをまざまざと証示している。

そうした証示の一つとして、日本民族が他の民族とは比較にならないほどの
多くの産霊神を産み出している事実を挙げることができる。

それぞれの産霊神は、「たかみ(高皇)」「つはや(津速)」「つぬごり(角凝)」
「たまつめ(霊留)」などの特殊化語によって、自他を区別しているにすぎないと述べている。


なんだか文章がやたらと長くなってきたので、
国学者「平田篤胤」の見解についてはまたの機会にでも…(^^;)


『②生命力を重視する「産霊(むすひ)」の思想

「産霊(むすひ)」とは、産巣日とも表記し、今日の「縁結び」の概念につらなる、
新たな生命を生むことをさす言葉です。生命のないところから萌え出たものが神であり、
生き物を生み出すことをつかさどるものが神であった。

もっとも古いかたちの神道では「生命力を神格化」したものが尊い神とされていたようです。
こうしたことは、古代人が神のもっとも主要な役割は、
生命あるものを生み出すこと(産霊)にあると考えていたことを示しています。

古代人は「生成のはたらき」にかなうものがすべて善であり、
生命の繁栄を阻害するものが悪であると考えていた。

古代日本語の「よし」「あし」は、道徳的善悪もしくは哲学的善悪を表わすものではない。
生命力に満ちた楽しい生活をもたらすものが「よし」とされていたのだ。

それゆえ、今日の私たちも、子孫の繁栄、健康、豊作、商売繁盛など、
生命の増進や生活の向上につながる現実的な願いを神々に祈るのである。

我々の祖先は、神さまが世界を造ったとも考えなかったし、
又そのように伝えてもいない。天地(宇宙)のはじめの時、
高天原に天之御中主神(アマノミナカヌシノカミ-始源神)が成りましてから、
ムスビの霊威によって、次々に神々が成りましたと感得したのである。

これはつづいて、国土、山川・草木も悉く神の「生む」ところであると神話しているのと同様に、
我が古代人が大自然と融け合い、天と地と、神と人と、人と人とが互いにむすび、
むすばれることを期待し、念願した証拠であって、
国民生活のあり方、その大綱を示しているのではないでしょうか。


キリスト教と神道では、「親(神)の権威」と「子(人)の歩むべき道」をどのように捉えているか???

これはまたの機会にふれてみたいと思います(^^)