霜月十一日 土曜日 雨 今日の日記は、神社関係者以外の人にとってはつまんない話かも…

「苛め問題」の続き(第2回目)を書く予定でしたが、それ以上に考えておきたい論点があったので、
今日はそれについて書きたいと思います(^^)

「苛め問題」については、明日の記事で更新します(^^;)←いいかげん神主

数日前から、ある神社の神主さん(Tさん)と、
ブログで以下のようなコメントのやりとりをしておりました。

ホンダ

『こんばんは、ホンダです。【神道の教学的な話】をされたんですか。
 それ非常に興味があります。今後の記事に期待しております。
 その手の話をしてくれる先輩が周囲にいないものですから(^^;)』

神主Tさん

『ホンダさんこんばんは。この日の飲み会で話したことはオフレコを前提としており、
 特に私は道神青の役員さんから「ブログに書くなよ!」とわざわざ念を押されているため(笑)
 本文中ではあえて具体的なことは書かなかったのですが、しかし他の人には話せないような
“ヤバイ”話ばかりをしていたわけでは勿論ないので、差し支えない範囲で
 一つだけ書かせていただくと、例えば、神社本庁憲章第二条に記されている
「神社本庁は神宮を本宗と仰ぎ」という記述についての論議がありました。
 
 これは教学的な話というよりは組織論的な話になるのかもしれませんが、
「そもそも本宗とはどういうことなのか、現職の神職でも本宗の理解については
 個々により差異があるように見受けられる」、「信仰上での話としてはまた別だが、
 少なくとも組織論的な解釈としては“神社本庁にとっての本宗”と“神社にとっての本宗”
 とでは当然意味が違うはず」、「もっとも、その厳密な意味の違いを氏子に説明すると
 かえって誤解や混乱を招くのではないか」、などといった意見が出されていました。
 私にとってはなかなか興味深い話でした。』

ホンダ

『こんばんは、ホンダです(^_^)早速の回答ありがとうございます。
「本宗」についてですか(・_・?) 私は考えたこともなかったですね(^^;)
 教学研究室が編集した『神社本庁憲章の解説』(1980年)は次のように述べているみたいです。

 第2条は伊勢神宮こそすべての神社の上位に立つ「本宗」であることを示したものだが、
 八百万の天神地祇のなかで、天照大御神が至尊の神であらせられ、
 神宮が天皇御親祭を本義とされることは記紀によっても明らかである。
 また古語拾遺にはその御神徳を、天照大神は惟れ祖惟れ宗にましまして、
 尊きこと二(ならび)無く自余の諸神は乃ち子乃ち臣にましまして孰(いづれ)か
 能く敢て抗(あた)らむとしてゐる。

 故に全国神社を包括する「神社本庁」が挙って神官を本宗と仰ぎ奉るのである。
 また全国神社の氏子・崇敬者に、朝夕神宮を敬拝する御璽としての神宮大麻を、
 包括下の神社の神職が頒布することになったのである。(27ページ)
 
 (-_-)ウーム どうなんだろ… 「組織的な解釈」として意味が異なるのか? 
 もうちょい考えます(^^;)問題提起有り難うございました<(_ _*)>』


神主Tさん

『ホンダさん、コメントありがとうございます。
 この件に関しては、実は私も今まで深く考えたことはありませんでした。
 ホンダさんが紹介して下さった『神社本庁憲章の解説』も読んだことはありません。
 今度読んでみます。

 この件で議論したとき、実はこういう意見が出たのです。
「全国の神社や神職が、伊勢の神宮を本宗と仰いで篤く崇敬するのは当然のことである。
 しかしその理由は、神宮でお祀りしている天照大御神様が皇祖神であり日本人全員の
 総氏神様であるからであり、別に神社本庁憲章でそのように定められているからではない。
 そもそも神社本庁憲章の条文には“神社本庁は神宮を本宗と仰ぎ”とあり、
 この条文を字面通り解釈すると、神宮を本宗と仰ぐのはあくまでも“神社本庁“であって
“神社”ではないということになる。

 実際、各神社にとっての本宗(総本宮)とは、例えば八幡宮であれば宇佐神宮、
 稲荷神社であれば伏見稲荷大社がそれに当たるのではないか」

 第62回神宮式年遷宮に向けて神社界が一丸となって取り組んでいかねばならないこの時期に、
 こういった話題はかなり“微妙”という気もしますが、しかし私は、この意見を聞いて、
 なるほど、そういう考え方もあるのか、と妙に感心してしまいました。納得はしていませんけど。

 要は、神宮が本宗であることは間違いないことでそれについては誰も異論はないのですが、
 神宮を本宗として仰ぐ理由については、自分たち(各神社)の上部団体(本庁)
 が神宮を本宗として仰いでいるから、組織として自分たちもそれに倣って
 本宗と仰ぐのか(情けない理由ですね)、それとも、あくまでも信仰上の理由から
 神宮を本宗として仰ぐのか(その場合は神社や御祭神の性格によっては
 神宮を本宗と解釈しない場合もあり得ます)、あるいは、そのどちらでもない別の理由
 があって神宮を本宗として仰ぐのか、ということです。

 更に突き詰めて考えていくと、これは、神社本庁と神社との関係、
 という問題にも繋がっていきます。本庁と神社との関係は今のままでいいのか、
 ということです、これは昔から言われていることですけど。
 ホンダさんは、神社庁に対してはかなり手厳しい意見をお持ちのようですが(笑)。
 私ももうちょっと考えてみます!』

ホンダ

『ホンダです(^^)詳細な解説有り難うございます。
 (-_-)ウームなるほど… たしかに、信仰上の理由からなら、
 神社や御祭神によって「神宮を本宗と解釈しない場合」もありえますかね。

 例えば、氏子さんから「我々の浄財金から支出している神社負担金は、
 神社庁や神宮にも流れてるんでしょう? 神宮を奉賛する信仰上の理由はなんですか? 
 包括団体としての本庁が本宗と仰いでいるからそれに倣っているだけですか? 
 そもそも我々の神社にとっての本庁とは何ですか?」
 という質問に対してどのように回答するかという問題ですよね(^^;)
 
 ウチは八幡神社なので、まず第一に「宇佐神宮」を奉賛すべきじゃないですか? 
 という意見が出ても不思議ではないですね。八幡様は「記紀」にも登場しないし…
 もうちょい考えてみます(^^;)』

まあこんなコメントのやりとりでした(^^;)

さて、例えば、天満宮の御祭神は、学問の神様として有名な「菅原道真大神」ですが、
大宰府天満宮が「神宮を本宗」として奉賛する「信仰的な理由」を、「神道古典」
などによって論証するのは困難なのではないでしょうか…?(-_-)ウーム

全国の天満宮が、大宰府天満宮を本宗として奉賛するのなら理解できるが…

それとも、神道に於いては、「八幡大神」や「菅原道真大神」を含めた八百万の神々は、
天之御中主神の分霊(わけみたま)と解釈すべきであるから、神道古典に登場しない神様も含めて、
神宮は全神社の本宗となると解釈すればいいのかね(・_・?) 無理がある???(^^;) 

始源神の天之御中主神を御祭神とする神社なんかは、
「信仰上の理由」として、どこを「本宗」とすべきなのかな(・_・?)

やっぱり「信仰上の理由」が無い場合「組織論的な理由」から、
本庁包括下の神社だから云々という「情けない理由」になるのかな(・_・?)

「信仰上の理由」をもっと拡大解釈すれば、神道に於いて、
神宮が主要な御祭神を祀っていることは、「記紀」からも明白であり、
「神宮は日本神道に於ける本宗」と単純に?解釈すればいいのかな(・_・?)

これだと「本宗」の定義が変か…?(-_-)ウーム

他の神主さま、どのようにお考えになりますか???