神無月十二日 木曜日 晴れ 神社入り口に「七五三の幟」をたてました(^_^)

今日は、先日のお祭りの神徒さんとの会話をテーマに書いてみたいと思います(^^ゞ

神徒さん(^^)
「世の中には、宗教同士が争ってるなんて話も聞きますけど、
 神道は、そういう話を聞いたことがありませんね。何故でしょう?」

神主ホンダ(-_-)ウーム
「いや~なんと言うか、日本の八百万(やおよろず)の神様達は喧嘩しませんから、
 神主さんも喧嘩はしないようにしないと…(^^;) 一同爆笑( ̄m ̄〃)
 宗教同士が争うというより、宗教家や信者同士が利害関係や思想面で争ってるんでしょうね。
 まあ利害関係で争うのは、我々宗教家自身がまだまだ俗物だからでしょうか…(^^;)」

ところで、世界宗教に仏教やキリスト教があります。

例えば、仏教の教えは「仏対個人」の関係にあるわけですが、これら世界宗教に於いては、
神又は仏(以下「神仏」と記す)を「信じる者は救われるが、信じない者は救われない」とする。

仏教の場合は、仏様の教えを信じたうえで、
自らも悟る(涅槃に至る)者は救われると言うべきでしょうか。

宗教の基本的基盤は、この構造でなければ成立しません。

つまり、「信じるものは救われる」という前提の下に、世界宗教が成り立っています。
 
教祖が理性思索(頭で考えた)によって生み出した創唱宗教に共通する構造です。
そして、創唱宗教の場合、「理性思索の能動教化」を建前としています。

【理性】 …感情におぼれずに、筋道を立てて物事を考え判断する能力。

【思索】 …筋道を立てて深く考えること。思惟。

【能動】 …自分の作用を他に及ぼすこと。はたらきかけ。

【教化】 …教え導き、よい方向に向かわせること。

三省堂提供「大辞林 第二版」より

さて、そうすると、例えば、ある「土地の人(以下「甲」と記す)」が、
Aという世界宗教を信じて、Bという世界宗教を信じないとすれば、
甲はAの神仏には救われるが、Bの神仏からは見捨てられることとなる。

更に、甲はA側にとっては味方であり、B側にとっては敵となる、
つまり、AとBとには、敵対関係が生じることになる。
AB双方が、それぞれの自己主張をするとすれば、
当然に勝敗を決しなければならないような状況になってしまう。

この争いを、単なる武力でするか、信者の多数(=民主主義)でするか、
又はその教えるところの「宗教的真理」ってやつでするかは、
これからの歴史が明らかにすることとなる。

1,000年後、世界の宗教の勢力図ってどうなってるんでしょうね…(・_・?)

まあ「武力で解決」というのは、ホントやめて欲しいですけどね(^^;)

地球そのものが無くなる可能性まであるでしょう…(-_-;)
 
例えば、数学の公式に、「1+1=2」がある。
これは、数学の世界においては、真理である。

つまり、この公式は、数学の世界における価値観というか世界観というか、
また哲学というか、「絶対の真理」ってことですね。

この公式「1+1=2」という「絶対の真理」を破ることのできる、
他の「公式」は成り立たないのである。

この「絶対の真理」の考えを、生臭い生き物である
「人間」の世界に適用しようと試みてきたのが、世界宗教です。

Aの考えも、Bの考えも、人間の「生き方」の「絶対の宗教的真理」
を指向して構築されたものであることは疑いない。

お釈迦様だって真理に到達するまで努力しまくりだったでしょう(-_-)ウーム

仏陀を世界3大偉人の一人に数えたい!←私が高校生の頃から勝手に思ってること(^^;)
 
しかし、いくら宗教的天才の聖人が考えたものだとしても、
生身の人間の考え出す「真理」には、やはり絶対的なものはない。

何故なら、人間は、その出自、その個性、その思考の中身は千差万別です。

あなたは、最終的にどの「宗教的真理」に共感できますか?ということになる。

やたらと長くなりすぎたので、
「神道が何故他宗を排斥しないか?」については、また明日の日記でふれますね(^^ゞ

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