文月二十六日 水曜日 曇り 天気は回復傾向かな(・_・?)

今日は、日記としてそれほど書くようなことがないので、
宗教の「聖」と「俗」をテーマにしてみたいと思います(-_-)ウーム

『あなたは「宗教」という言葉からどんな印象をもちますか?』

『日本の宗教団体全般の活動は「公益性」などの観点から評価に値するものだと思いますか?』

こんな質問を、現代の日本人1,000人程度にしたらどんな回答が多いでしょうかね(-_-)ウーム

おそらく、良い印象&良い評価の方が少ないのではないでしょうか?

「聖」より、むしろ「俗」を感じてしまうでしょうかね…

世俗的…なんとも曖昧な表現だ。辞書で調べてもどれも似たような意味が書いてあります。

「世間で一般的に行われているさま。俗なさま」

これで分かる人がいます…?

「俗」とは、どうやら「聖」というものを意識したうえでの表現のようだ。

つまり、「俗」=「聖でないもの」という等式が、いちばん近いように思える。

「宗教」という言葉に悪徳商法にも似た活動を想像する方も多いかな…?

「悪徳商法」そりゃ典型的な「俗」ですよね…

例えば、単なる「偽盲行為」で壷を50万円で売りつけるとか?( ̄m ̄〃)ぷぷっ!
そもそも、そんなの宗教でもなんでもないわけだけど…

「聖」には、やっぱり仏さんの領域とかイメージするわけですよね。

あと、仏教界でよく聞く話ですが、戒名料が高すぎるとか云々でしょうか…(^_^;)

これは活動自体に「俗」をイメージしてしまうでしょうか…

「日本の神道は、単なる国民的習俗にすぎない」とか、
「日本の仏教は、単なる葬式仏教に堕落してしまった」というような声も出てくるかな…

そんな話が巷から腐るほど聞こえてきそうですね…(-_-;)

これは現場の宗教家が「俗」を抜け出せないからでしょうか?
「俗」を抜け出せない人間がまっとうな布教ができるのか…?(-_-)ウーム

「俗人」にあれこれ言われても「心に響かない」でしょうから…

まあ仏陀とて、最初は「俗人」からスタートして「聖人」になったわけだけど…

たしかに、どこの宗教法人も、「経済原理」を無視して活動できるわけではありません。

そして、いかにその宗教の教義自体が高尚なもので、普遍性があると感じたとしても、
現場の宗教家とやらが悪意に満ちた活動ばかりしていたらどう感じるか…? がっかり…?

私なんかは、ウチが貧乏神社だからか、
「宗教の聖と俗を上手に使い分けなさい」とか言われたことも数知れずあります…(^_^;)

中には、「宗教の専門的な話、高尚な話より、物理的な意味で見た目が立派で、
神さんの御利益がありそうならそれでいい」なんてことを言う輩までいた。(やれやれ…) 

私が祝詞を学んだ先生に、國學院の三橋教授がおりますが、
先生は「単なる物売り神社にはなるなよ」な~んて仰ってたな(-_-)ウーム

とりあえず私は、たとえ貧乏神社でも、
自分がとことん「俗」と感じてしまうレベルのことはやらずに歩んできてみた。

またの機会にこれの続きをテーマにしてみたいと思います(^^ゞ

そもそも「聖」と「俗」の基準が曖昧(・_・?) 主観が入りまくる論点のような… 

「聖」と「俗」についてふれているサイトさん↓
http://d.hatena.ne.jp/umeten/20060115/p1

こちらさまも「聖」と「俗」の定義の仕方について参考になる感じ↓
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/houwa/houwa16.html