
こんばんはホンダです(^^)
六月一日が当宮の春祭りと総会、
そして三日が宮司(父)のお葬式だったので超多忙でした(-_-;)
事後処理も沢山ありますね(^_^;)
さて今日は、父の葬儀の喪主挨拶から少し日記にも書いてみたいと思います。
以下が挨拶の要約です。
「本日はご多忙中にもかかわらず、父の葬儀にご臨席いただきまして誠にありがとうございます。
父が約四十間もの長きにわたって当社の宮司を務めてくることができたのも、
地域社会の皆様並びに関係者ご一同様のお力添えによるものでございます。
ここに生前の御厚誼に深く御礼を申し上げるしだいでございます。
生前親交の篤かった斎主神原宮司さまを始め副斎主宮本さまなどに
神事をご奉仕していただき故人も喜んでくれているものと思います。
重ねて感謝申し上げるしだいでございます。
昨晩自宅で通夜祭がございましたが何年かぶりに兄と再会しました。
神事終了後のお食事の席で、神社の存在意義を含め宗教や哲学の話をしていたとき、
『銘旗(めいき=画像参照)の上から2文字「惟神」は何て読むの?』という話になりました。
そこで私が、
『「かむながら」と読んで、大幅に意訳すれば、
「偉大なる宇宙の意志に随い自然と共に生きる」という意味だよ』と回答したところ、
今度は兄が、
『じゃあ「神」っていうのは何なのかな?』と質問をしてきました。
ここはある程度私の解釈で、
『神道における神とは、諸説あるけれども多くの場合は「自然神」だよ』と言い、
「もともと日本人は農耕民族だし、豊作を祈願する共同体単位の祭りを重んじていたんだね」
と続けました。
すると兄は、
『まあ日本人も昔は「共同体意識」が強かったんだろうけど、
「個人主義」が当たり前のようになった現代人の考え方には合わないな』
更に続けて『しかし、他者を尊重する生き方は大事なことだと思うよ、
「価値」というものは相手があってはじめて成立するものだからな」と続けました。
Q&A 【個人主義】とは?
その人の属している組織全体・社会全体のことを顧慮せずに、
個人の考えや利益を貫く自分勝手な態度。三省堂提供「大辞林 第二版」より
さて、神社とそのお祭りは日本の伝統文化を象徴するものでございますが、
当浅舞八幡神社は、この浅舞の地の産土(うぶすな)さまです。
そして、産土とは土地を媒介とする地縁的な人のつながりを意味する言葉でもあります。
もとより農耕民族の日本人は、
春秋のお祭りを通じて古来地域共同体としての結びつき、
いわゆる人間関係を重んじてきた民族だったわけでございます。
しかし、昨今のモラルハザードや人心荒廃や人間疎外現象など、
「個人の幸福は地域社会と共にある」ことを忘れた、
極端な個人主義がもたらした弊害を見るとき、日本神道の奥義は、
はるか昔に近代及び現代資本主義思想の類の限界をも見据えており、
故に人と人、人と自然との共生を目指しており、
更にその先を行く思想を内包しているのではなかろうか、ということが逆に見えつつあります。
ここでちょっと余談
まあ多くの現代人にとっての神道は、儀礼化・習俗化だけが進んでしまったので、
現場の神職が言うのは、ホント情けない話ですが、「困ったときの神頼み」
レヴェルかもしれませんね(-_-;) 私は、日本古来の惟神(かむながら)の思想は、
もっと崇高なものだと思っていますし、日本人は自国の伝統精神に自信をもっていいはずです。
一般的な宗教は、「理性思索の能動教化」を建前とするわけですが、
神道の場合は「宇宙自然」を対象にした「受動随順」を旨としており、
自然科学にも学びながら、人と自然、そして人間同士の「共存共栄」
を目指していくものです。単なる個人救済の宗教の場合、これは無理なんですよね…。
挨拶のむすびとして、神社の社会的な存在意義や(大袈裟な?)誓いの言葉を述べました(^^ゞ
まあ口だけなら何とでも言えることであり、これからどのように実践していくか…。
みなさんもご存知のように、どんな組織にもシガラミとか色々あります。
そして、組織活動においては、「出る杭は打たれる」場合が多いのです。
今後、ホントは書いてはいけない? 神社界とのやりとりも公開していきますね。
明日は、葬儀に参列してくれた母の兄弟(叔父さん)との会話を紹介しますね。
明後日は、神道青年会の会長さんとの会話を論点にしてみたいところ。