釈迦の説によれば、生老病死の苦は生存のための苦である。

生存は生滅変転を生ずる。

生滅変転は「執着」におこる。

執着は愛欲に発し、愛欲は苦の原動力で罪悪をつくる。

愛欲は感覚により、感覚は触による。

触は六入により、六入は身体組織の具備による。

身体組織の人格は色を為すに因り、色は意識により、意識は行に因る。

意識と行とは生死のために滅せるものであるが、本体のあるものではない。

それは「業因の果」にほかならない。

世の現象は法にして体ではない。我々は不変の本体がない。従って不変の人格がない。

一切は生滅流転の連続である。

一切の法に我無し、我あると思うのは迷いである。

この我ありとする迷いによって行動し、
又生死の間に「業因業果」を連続して行くことを「無明(むみょう)」という。

「因果応報なるがゆえに来世なきにあらず、無我なるがゆえに常有にあらず」

というのが超有名ですね。

故に無明が一切の迷の因であり、一切の苦悶の源である。

この苦悶を滅し迷妄を断つことを解脱というのである。

解脱は無明の源泉を壮絶するにあり、源泉の壮絶は没我禁欲にありというのである。

無明の根を絶つためには四諦・八正道・六波羅蜜・十二因縁説・涅槃などがある。