皐月十一日 木曜日

昨日の日記でもふれましたが、
今日は、①「挫折しそうになった話」②「理想と現実」をテーマに書いてみる。(特に①ですね)

神職をしていて心底挫折しそうになる思いがすることを書いてみる。

それは神道が将来的に、単なる国民的習俗やら通過儀礼などという扱いをされて、
そのまま固定化していくのではないかと懸念することです。

日本人の中には、神道を多神教であると考えている方は割合に多いはずです。
(多神教については詳細にまたの機会に更新するとします。)

私自身、かつて、斯界の最高権威者の一人が多神教であると発言したのには驚く外なかった。
況してや、一般国民大衆は文化に取り残された「原始宗教」であり、教祖も教義もなく
戒律もないのであるから単なる民族の習俗であると見られているのも無理からぬこと。

がしかし、神道は多神教でもなければ、習俗でもないことは明白です。

宗教よりも尚一段と高い宗道であり、万教を統合する本源です。

かつて、トインビーが伊勢神宮を参拝して、「ここに万教統合の本源がある」
と記帳したのは故ないことではない。

また神道は戦後宗教であると規定され、色々様々の不祥事件をおこしているが、
これは占領軍がキリスト教的神(ゴット)観点に立って取り扱って結果である。

日本の神はキリスト教的神(ゴット)ではない。(そんなの常識だが…)

また単なる宗教でもなく宗道というべき宗祀国教です。

そして、神道は『宇宙自然の法則作用の人間的行為化』であって、
他にその種も類もない日本独自のものです。

しかし、(以下が一番大事な部分)
宗道神道は、これを自他に理解を深め伝道宣布するには、
宗教的手段方法をとり教義を作成して、『現実生活を動かすもの』にならなければならない。

その理解と努力を怠るならば、民族の習俗に固定化し、博物館的存在となり、
ミイラ化し、宗教の域にさえ達することもできないものになるでしょう。

神社界では、神道は言挙げしない(理論立てない・布教しない)
という基本姿勢を貫いてきたわけだけど今後どうなるか…

関連記事【宗道としての神道の本質】↓
http://blogs.yahoo.co.jp/fgnpd582/29342406.html