仏教を学ぶ 第三回目
第二回目でふれた【アートマン】について再度勉強しておきたいと思います。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
アートマン (Atman) は、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
ヴェーダの宗教で使われる用語で真我とも翻訳される。最も内側 (Inner most)を意味する
サンスクリット語の Atma を語源とする。アートマンは、個の中心にあり認識をするものである。
それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、
アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。
ゴータマ・ブッダによれば、「我」は存在しないため仏教においてアートマンの用語は
一般的ではないと思われる。無我を知ることが悟りの道に含まれる。
しかし、個の中心にある「無」を知ることが悟りとされることもあり、
この場合、「無」が「アートマン」と同じものだと捉えることもできる。
また、初期のウパニシャッドであるブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは、
「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるされるという。
その属性を「…である」と定義することはできないという。
したがって、「…である」ものではない。
すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」
がアートマンで、これが仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。
また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる。
なにやら難解ですが、今後哲学でもふれてみたいと思います。
第二回目でふれた【アートマン】について再度勉強しておきたいと思います。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
アートマン (Atman) は、意識の最も深い内側にある個の根源を意味する。
ヴェーダの宗教で使われる用語で真我とも翻訳される。最も内側 (Inner most)を意味する
サンスクリット語の Atma を語源とする。アートマンは、個の中心にあり認識をするものである。
それは、知るものと知られるものの二元性を越えているので、
アートマン自身は認識の対象にはならないといわれる。
ゴータマ・ブッダによれば、「我」は存在しないため仏教においてアートマンの用語は
一般的ではないと思われる。無我を知ることが悟りの道に含まれる。
しかし、個の中心にある「無」を知ることが悟りとされることもあり、
この場合、「無」が「アートマン」と同じものだと捉えることもできる。
また、初期のウパニシャッドであるブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッドでは、
「…でない」によってのみ、アートマンが定義されるされるという。
その属性を「…である」と定義することはできないという。
したがって、「…である」ものではない。
すなわち、「何でもないもの」すなわち「何かではないもの」「有るものではないもの」
がアートマンで、これが仏教または禅の「無」と同じ意味だととることもできる。
また、アートマンは、宇宙の根源原理であるブラフマンと同一であるとされる。
なにやら難解ですが、今後哲学でもふれてみたいと思います。