神道を惟神(かむながら)の道ともいいます。

惟神(かむながら)…随神、神随、神在随、随在天神、乍神、神長柄、神奈我良、可牟奈我良
などとも書く。

惟(ゆい)には、思う。従う。と言う意味があり、惟神(かむながら)とは、「神ながら」と読めます。

「な」は格助詞。「がら」は本性、品格を表す語で、
神のままに、神として、神であるがゆえに、神の意志のままになどと解釈されている。
また、「惟神の大道」と熟して神道そのものを意味し、明治以降盛んに用いられた。
ただし、惟神の語義・訓みをはじめ、その意義内容の細部にわたっては近世以降異論が多く、
定説はない。(『弘文堂神道辞典』)

「教えられたことを忠実に守る」のではなくて、
「おのずから神の意志というものを推し量って生きる」信仰が「かむながら」なのです。

そして、神道の教義の根源とは、一般に『宇宙自然の法則・生命の作用』といわれるものです。

惟(ゆい)には、「思う」の他に『従う=(随う)』、という意味があると前述しました。

人間の不幸や不運の原因となる、
罪であるとか、けがれ、わざわい、あやまち、貪欲、怒り、痴疑や、貧乏、
病気、争い等は本来独自に独立して実在しているものではないのです。

本来ないのにどうしてそのような現象がおこってくるのであろうか?
それは人間が自然や生命の作用に逆らうからである。次回に続く。