突如、彼に関西弁ブームがやって来た。



『なんでやネ〜ン』



どこで覚えて来たのか、微妙なイントネーションで…。



一度正しい発音を教えたはずなのに、しばらくするとまた元に戻っていた。
まぁ、私もネイティブじゃないけど。



最近は何にでも「やねん」をつけるのがお気に入りのようだ。







「チャンウク、コーヒー淹れるけど、飲む?」



キッチンのカウンター越しに、ソファーで本を読んでいる彼に声を掛けた。



「うん、飲む。飲むやねん」



…言い直した。






ドリッパーにペーパーフィルターを敷き、豆を入れる。



そんなにこだわりはないけれど、彼が美味しいと言った銘柄の豆をしばらく続けて買っている。



ドリップポットから細く少しずつお湯を注ぎ、ゆっくりと蒸らす。
キッチンにいい香りが漂い始める。



琥珀色の液体が少しずつ落ち、サーバーの中に深い茶色の水溜まりが出来た。



熱々のコーヒーを色違いのマグカップに注ぐと、更に香りが広がった。







2つのマグカップをセンターテーブルに置くと、入れ替わるようにして彼がキッチンへ向かった。



「ヌナ、これも食べていい?」



振り向くと棚からスナック菓子を取り出していた。



彼はソファーに座ると、直様豪快に開封した。




「あ、ヌナ、『いただきますやねん』ていつ言うんだっけ?」



スナックを口に入れる直前で、彼が訊いた。



「え、今でしょ」




言ってから、しまった、と思った。
条件反射みたいな感じで、つい答えてしまった、、、、。
日本語で。



「なになに?それなんて意味?オオサカベン??」


「あ…や、違うけど」




結局説明した。



「あ〜…、『イマデショ』、イマデショ」



ウンウン、と納得したように一人繰り返している。




…これはマズイ。
マズイ気がする。


このフレーズを使ってはいけない。
特に日本人の前で…。


というか日本語なんだから絶対日本人の前で使うでしょ!
ドヤ顔でこんな今更なギャ、
あれ、これってギャグだっけ?


あの方は『先生』であって、『芸人』ではない。
ギャグじゃないけど、持ち…ネタ?
ネタ??



そんなことを考えていたら、スナックが気管に入ったのか彼がむせた。



「大丈夫?コーヒーある?」


マグカップを覗き込む。
よかった、あった。



「ヌナ、コーヒーを飲むなら?」


「…今でしょ」



なんか言わされた。



むせながら「さすが〜」と言ってコーヒーをすする彼に、やはりこれは絶対に使わせてはいけないと、強く思った。






あれから、理由と共に、決して外では使わないよう説明した。
少し寂しそうにしていたので、時々は付き合ってあげている。








彼の前に立ち、じっと見つめた。



「ハグするなら?」



そう言うと、長い腕が背中に回された。



もう一度、見つめる。



「…キスするなら?」



「イマデショやねん」



ぷ。『やねん』は要らないけどね。


まぁいいか。


彼が楽しそうだから。





彼の背中に腕を回し、私は目を閉じた。











end.