さだまさしさんのヒット曲『関白宣言』を知っている方は多いと思う。父無き社会、あるいは失われた威厳ある家長父復権への憧れの詞なのか・・・


 確か、まだ僕が20代の頃のヒット曲で、とにかく俺についてこい。俺のいう事を聞け。


 時代に逆行したような作詞であった。ですが、僕はそういう時代を幼い時から見ていたから、父親の影が薄くなったからこそ、ヒットしたのかなと思ったものです。


 日本は男性優位社会と言われますが、はたして、それは本当かなと思ってしまうんです。確かに国会議員も地方単位の議会に於いても女性は少ない。政治の場ばかりではなく、あらゆる領域に女性が少ないですね。


 平等の権利意識から見れば、それは不平等と映る。


 現象的に見れば確かにそうなのですが、僕はちょっと違う視点で捉えています。


 実質的には、家の支配権は女性が握っていたのではないかと思うのです。特に僕が見た長崎の父の実家や伯母の家では、支配権というのか、家長の決定権を左右したのは女だった。


 村の行事や、家の伝統的なしきたりなどに於いては、家長の男性が中心であった。


 しかし、それを積極的に下支えしていたのは主婦でした。アレコレと積極的に準備の指図をしていたのは主婦であった。村の子どもたちはそれを見て、自然と、母親なり、祖母の力を皮膚感覚で知る訳ですね。


 亡き父に聞いた話ですが、農村というのは性行動に於いても、女性は積極的だと言ってました。何故にそうなのかという話はしませんでしたが、ニヤニヤしていた顔が思い浮かびます。都会風に言えば不倫なのですが、バレても酒の一升でも持って謝りに行けば済んだそうです。


 表の見える世界での男の力と、見えない裏の(家)の世界での女の力とのバランス。そこが僕には面白い訳ですね・・・


 子どもたちの深層世界を支配していたのは、間違いなく母親です。ですから、悩みや、希望する相談をするのは母親であり、その母親を通して父親に伝えられるというケースが多かった。僕の妻も農村育ちですから、長崎と同じですね。


 ですから、妻の兄妹たちにとっては、今でも父親の影は薄いと感じるんです。母親が主体的に働いている姿の方がはっきり残っている。


 僕は、性差ある自然な姿が、ついこの間まで日本の農漁村には残っていたと思うのです。エネルギーの大半を人力に頼っていた時代と、今は違うのです。


 また、都会の会社勤めの人も、圧倒的に農村育ちが多かった。それを考えると、農村的原理が、そのまま現代的装いをした都会に入ったという事です。


 ですから、単純な権利意識の平等観だけで、人間社会を見てはいけないと僕は思いますね。


 少なくとも僕は、男女の性差を撤廃しようなどとは思いません。性差があるのを、幼い時から、大人たちの働く姿と役割を見て知っていますから・・・


 男と女は、お互いに無いものを尊び、助け合って行くのが喜ばしい社会だと思っています。