僕の住む町の隣は秦野市(はだの)です。秦氏に由来のある名称とされ、渡来民族名です。最近、思い立つように、少し秦野市の事を調べようと思ったのは、京都の木島坐天照御魂神社(このしまにいますあまてらすみたま)の一角にある蚕の社の『三柱鳥居』の存在を思ったからなんです。秦という氏族は中国からの渡来人と言われていますが、そのルーツは中国でも、シルクド―ロを経て呉に辿り着いた一族とまでしか判っていない。

 

普通、鳥居と言えば二本の柱ですが、三柱の鳥居は珍しく、三井財閥(伊勢商人)も、そういうものがあるらしいのですが、単なる語呂合わせ。縁起の良い『満つる』から来ているというのが定説のようです。

 

 宇野正美氏や東北大学大学院の教授・田中英道先生は、キリスト教の一派ネストリウス派(仏教に影響を受けたキリスト教・景教)キリスト教ユダヤ人だという説を出しています。僕はある意味これは正しい説ではないかと思っている。三柱の鳥居は何回か建て替えられてはいますが、その原形は変わっていない。だとすれば、古代ユダヤ人キリスト教徒たちがシルクロードを経由して日本に入って来たと思われます。唐の時代には、彼らが間違いなく存在していた事が、土中から出て来た石碑によって判っている。

 

 三柱鳥居は京都の太秦(うずまさ)に在るのですが、同じ太秦に広隆寺があり、毎年『牛祭り』があります。この祭での祝詞は、まったく意味が判らないと言います。広隆寺の弥勒菩薩像の右手にも三位一体を示すものがあるという指摘は田中英道先生です。

 

 シルクロード~朝鮮~日本、秦氏という高度の技術や教えを持った氏族が日本に様々な形で影響を与えたというのは否定出来ないと思います。

 

 秦氏が隣接する秦野市の地名に由来があるとすれば、神社や祭、古い石碑などに注目して行かなければならないと思っている訳です。あまりにも近い地であった為に見逃していたのです。

 

 これから、一生懸命に勉強しよう。