前回のアメリカに続いて旅について書こう。
  中国では、小学校建設のユネスコボランティアで観光地以外の貧困地域を沢山調査して回った。その前に個人的に調査した地域を入れたら、全部の省を回った事になる。それも全て飛行機を使わず…。気がつけば、殆どの鉄道路線を制覇した事になる。

  西の果ての雲南、チベットに行くには鉄道だけで2泊3日かかる事もある。そこから更にバスで2泊、その後バイクや馬車で5時間と言うこともよくあった。一度、新疆地区から帰って来た時は事故の遅れから最終的に遠回りをして電車だけでも4日4晩かかった。その為、列車に乗るときは大量の食物と共に乗る人が多い。行き着く駅で簡素な駅弁が売られ、お湯も列車内で沸かしてくれるので、カップラーメンが大流行していた。また、列車の止まる場所では、駅でなくとも物売りが窓の外から食料を売ってくるので、飢える事はない。
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現地で普通に着ている民族衣装を着て旅していると、何処でも歓迎される。

  1995年当時の列車は、古い車両でお世辞にも綺麗とはいえない。しかし、3日間も一緒にいると目の前の中国人ともかなり深い話が出来る。先ずは戦争に対する誤解を解き、「お前の様な日本人がいるのかぁ」と仲間になると、他の中国人が喧嘩を売ってきても擁護すらしてくれるようになる。そこに至るまでには、読み込んだアジアの近代史や東北地域の抗日記念館などを殆ど見て回った経験などが裏づけとなり、少しずつ説得していける。

  軟かいベッドのある客室は苦学生には使えず、硬いベッドが取れば万歳である。春節など民族大移動の時期は、硬い椅子席すら取れず、通路や連結部分に座る事となる。その人の多さや、自分の車両のトイレに行き着くまで10分位かかる事もある。夜は蹲って寝るのだが、少しでも横になりたいので、他の客に習って皆が座っている椅子の下に潜り込み、横になる。平気で唾を床に吐く時代の列車の床は、想像を絶する。
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今は天安門前の様に舗装されているが、昔は未舗装の裏庭みたいな所だった。

  95年に行った1度目のチベットは、ゴルムドから韓国人の友人と二人で解放軍の服を纏い、一般バスに押し込まれて登った。一般用の10倍以上かかるバス代(外国人パーミッション込み)を避けるためだ。途中の検問では、冷や冷やしながら寝たフリをしていた。崖が崩れたり、エンジンが壊れたりで、1日動けない事がバスの旅では多いが、4000m以上ある所でそれがあると、さすがの軍隊上がりの韓国人も死にかけていた。
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パンクやエンジン修理は、ほぼ毎回あった。その時は2-5時間くらい何もせずに昼寝
  2-3度目のチベットは、1回目の教訓から中国人用でも最新式のバスを選び、時にはベッド形式のバスが出る日まで待つ余裕も生まれた。

 偶然シルクロードの果てで再会し一杯交わした事などについては、機会があったらまた書くとしよう。

*誤解の無いように追記しますが、今では最新式の列車が走り、時間も短縮されサービスも充実してマナーもあがっている事も一筆しておく。
毎年・毎月どんどん変わり行く中国を旅して欲しいと言う願いを込めて。今は2度と帰ってこない...。