悟りとはなにか | カキポンの日常ブログ

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現在10歳の子育て中のお父さん(46)。コーチングや発達理論を学び、子育に活かした話や、日々の出来事などを書いてます。

えー、悟りとはなにか、私の思ったことを書きます。

あくまで私はこう思ったって話なので、話半分でどうぞw

 

まず最初にそれがどういった境地であるかというと

普通に精神的な成長をしていくと、そうなるものだと思います。

特別な人しかなれないとか、まったく突飛な精神状態とか

そういうんじゃない、結構普通。

だからこそ一切衆生は仏なのかなと。

 

子供が大人になることを精神的成長と言うでしょう

そのまま更に成長してある段階を突破した状態であるかなと思いました。

いわゆる”自己実現”なる状態。

自己確立とか自己創造とかともいうのかな、違いがわからんので

ここではそういう類を全部ひっくるめて自己実現とします。

 

私はコーチングの本でこの自己実現を知りましたが

マズローの自己実現とか、アドラーとかも似たようなものですかね。

いきなり自己実現とか言われてもよくわからないと思うので

私が読んだコーチングの本を紹介します、これが一番わかり易い気がする。

 

 

まず成長の第2段階、個人主義者。

1段目は子供なので、ここは10代20代ぐらいのイメージ。

 

 

まあ大体何言ってるかわかると思います。

 

次に第3段階 社会の構成員

 

ここが普通の社会人の段階でしょう。

私は一時期、第2段階的行動を排除して、

第3段階を極めるのが大人だと思ってました・・・・。

 

まあこの第2ー3でバランス取ってるやってるのが普通の人と思います。

私みたいに第3段階に寄りすぎると鬱になるw

さて、次が問題の第四段階で自己実現についての記述。

 

 

どうでしょう、私は最初読んだとき全く意味わからんし

一つも共感する要素がありませんでしたw

第3とこの第4には激しく差があるような気がします・・・。

次に第5段階がありますが、これはもうよくわかりません。

 

本ではこれが最終段階になってますね。

うーん、いくつかはわからんでもないような・・・

ぐらいな感じで、ほとんど意味わからんですが

ここが終着点になってます。

 

とまあこういう話が書いてありまして

折に触れて見返して日々の人や出来事に当てはめて考えると、

これのことか! となったりします。

 

そういう中でアドラーとかマズローとかも

結局似たようなこと言ってんのかなーと。

論理的に考えていくと必ずそうなると思うんですよねえ。

 

ともかくこういうのが自己実現なんですが

それを踏まえてもらってお釈迦様の話。

入滅を前に弟子のアーナンダに語ったこととして

”自帰依 法帰依”っていう教えがあります。

これも似てるなと思ったんですよね。

 

植木雅俊さんの「仏教、本当の教え」 

から紹介しますと

「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、

 法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

 

ということで内容で、中村元さんの解説によると

 

「<自己にたよる>ことは、すなわち<法にたよる>ことである。

 (ここで『法』というのは、人間の理法、ダルマのことである。)

 また<法>は宙に浮いているものではなくて、

 必ず人間を通じて具現されるから、

 <法にたよる>ことは<自己にたよる>ことになる」

 

ということらしいです。

自帰依は他者に依存するな、

法帰依は自己の法に従え ってことですかね。

 

前回は法がわからん、と書きましたが

なるほど、法は自分で考えて導き出さないといけない。

そしてそれに従うと、それなら私は超納得です。

仮に宇宙の法則とか絶対真理的な何かを言われたら

 

「それってあなたの感想ですよね?」

 

って私は言うと思うw

で、この教えは原始仏教の核心とも言える教えらしいんですが

これってさっきの第4段階に似てません?

 

どうでしょう、私は結構似ていると思うんですよねえ。

なので第5段階に至るのが、悟りなんでしょうかね。

マズローは自己実現の上に自己超越がある

とか言ってるんで、それもそうなのかもしれませんし

実は全然関係ないのかもしれませんw

 

と、いうお話でした。

最初は創価学会の勉強からの流れで触り始めましたが

原始仏教は結構いいなと思いました。