もし母が8年前に脳梗塞にならなかったら、半身麻痺の身体障がい者にならなかったら、今も実家で気ままに暮らしてたのかな。
昔から「アンタらの世話にはならん。 90になったら◯◯のサ高住に入る。」と、かかりつけ医が経営する高齢者住宅を見学に行ったりしていた。
半身麻痺になって実際に行く話になったら「施設なんか行かへん!」って病院で泣いて喚いて拒否し続けたけど😓
かかりつけ医からは血圧が高いのに高血圧の薬は必要ないと言われていたらしい。
それから直ぐに脳梗塞で半身麻痺になって自宅に帰ることすら出来なくなったけど。
聞けば180から200の間を行ったり来たりするほどの高血圧だったそうで、それでもかかりつけ医には好きな物を食べて好きな物を飲んだらいいと言われていたらしい。
83にもなって血圧の管理など必要ないって考えの医師も少なからずいるはずで、そんな母が半身麻痺でも91まで生きたことを考えてみると、血圧の薬を飲んでたら違った老後だったかもとも思ったりする。
結果論だから正解なんて無いけど、母がもう少し病いに敏感な人だったら違う選択肢もあったよな。
父が亡くなってからは大好きなテレビを見て大好きなラーメンを食べて好きな時にゴロゴロしたりしてた母。
頻回に顔を出してはいたけどフルタイムで働く身で、外食や旅行に連れて行く以外は差し入れすることしか出来ていなかった私。
健康診断で悪い箇所はどこも無いという母の言葉を鵜呑みにしてたけど、近くにいた私にも母の健康管理の責任はあったかもしれないと後悔したことがある。
年寄りの言葉を鵜呑みにしてしまった私が、倒れて動けなくった母を助けて8年寿命が延びた。
延ばした分の責任が降りかかってきて8年近く。
ようやく特養という着地点が決まって、これから先の寿命がどんなに延びても対応出来る気がする。
会いに行ったり病院に連れて行ったり外出させたりくらい何て事はない。
鳴り続ける夜中のナースコールに眠れない日々と仕事との両立。
便漏れを隠す母のせいで溢れる程の汚れた洗濯物との格闘も何度もあった。
父の遺影に向かって早くお迎えに来いと泣き叫ぶ声を私にぶつけてくる母。
我が身が不憫で不憫でと8年経っても自分を憐れむ言葉を繰り返す母の口から命が助かった喜びの言葉を聞くこともなく、それでも時代劇を見て声高々に笑う母。
毎日好きなお饅頭を食べて珈琲を飲み、好きなお刺身と茶碗蒸しも欠かさず食べられる日々に喜びは無かったんかな🥲
今だに私に暴言を吐ける母。
我慢のストレスの捌け口が私だったと今は思うようにしてる。
あと少しの在宅介護になったから思えるんやけど。
半身麻痺で認知症もあるけど、施設で心穏やかに過ごしてくれたらなと心から願ってる。
もう「早くお迎えに来てあげて」と、こそっと父の遺影に手を合わす必要も無くなるかな。