コーヒーブレイク一の続き 銭凾海水浴⑤

 《いよいよ終わりです。コーヒーを飲みながら読後感を聞きたいところです。銭凾海水浴は私の関心があった一つでした。資料としてはかなり集まりました。コ-ヒーブレイクで一部を取り上げました。最後に先発隊の経験者のお話で終わりといたします。原則、原文のまま掲載、一部修正した。》

 

 「楽しい日の思出日記」                 川合智徳

 七月十七日(海水浴)

 晝はまぼろし夜は夢、寢ても起きても忘られぬ海水浴がやって來た。我々一行は先発隊で行くのだ。まづ私は拾六日の午前中買い物をしてリュックサックに詰める。晝食をすませて學校に行く。猫宮と私は大學よりテントを駅に運んだ。池上、國塚、本宿の諸君は學校より、バケツ、ゴザ等いろいろな道具を駅に持ってきた。校友生の方も二、三人來た。これで一行は皆揃った。荷物をチッキで出す。切符を八枚買った。

其の頃空は曇り、今にも雨が降りさうだ。皆不安の色を見せて、汽車に乘る。我々を乘せて汽車は銭凾指して驀進する。三十分も立つと海が見える。やがて銭凾駅に着いた。 

 汽車より降りると、空は晴れ、コバルト色に澄んでゐる。雲ひとつ見えない。皆喜びに高まる胸をおさえてテント村へと荷物を運ぶ。先ず第一にテントを立てる場所を擇んだ。

場所も決まり、テントを立てる。二間と三間の大テントであるからなかなか容易でない。おまけに二張ときたのであるからなかなかな事である。皆一生懸命である。

やっと立てると此度は横に廻すのがたりない。いろいろ考へて二つをくっつけて立てることにした。其の頃になるとそろりと御腹がすいてくる。太陽は山の上で散歩してゐる。冷たい風が吹いてくる。御腹がキュキュなる。皆一生懸命にテント家を作って居るのにかゝはらず、本宿君は食をぱくつかせてゐる。なほさら腹がキュキュなる。

大工の本職も此では駄目ですね、本宿君。太陽は山に隠れる。夕闇がせまってくる。

山崎先生、池上、猫宮の諸君も皆一生懸命だ。校友生の村田、鳴海の炊事班長様も一生懸命に、芋、人参の皮をむいて夕食の仕度してくれる。ぷんぷんと豚汁の良い香りがする、御腹はキュキュとなる。テントもほゞ出來た。「國塚君御腹がすいたね」

「うん俺もペコペコさ」と腹のすいた話がする。日はもうとっぷり暮れた。提灯を出して火をつける。炊事班長に夕食を請求する。もう出來たらしい。ゴザを廣げて喰べる用意をする。皆リュックサックより茶碗を出してゴザに座る。先ず第一に豚汁を碗によそる。フ―チュ―と豚汁を喰べる。あゝうまい、もう一杯と又喰べる。あまりうまいので豚汁を六杯も喰べた。御飯の方はあがったりさ、御飯も喰べる。實に飯盒の御飯は又うまい。自分はもうすんだが皆一生懸命だ、フームヤーチュ-と盛んに音を立てて喰べて居る。人の喰べて居るところを見てゐると亦格別とうまそうな感がする。

 見る見るうちになべ一杯にあった豚汁もそこが見えて來た。實に皆喰べたものだ。此の様なうまさは恐らく此處より外にては味ひ得ない事だろう。

 後片附と云ふ段になると誰でもいやである。『麥と兵隊』の一節に「男と云ふものは、無精なもので喰べるまではせつせつと働くが、さて喰べてしまうと後片づけをするのが億劫で仕様がない、ほっといても誰れもして來れる手はなし仕方がないので片づけたり飯盒を洗ったりするのだが、さて戰争に來て女房の有難さが知ったと云ふやうな事になる」と云ふやうな句を思い出す。結局くじで我輩とcat君と、一町もある井戸まで行って洗ふ、豚の油でなかなか落ちない。やっとの事で皆洗った。今度は明日の米トギ、それで萬事用意整ひ御座候さ。それから我々は夜行隊を迎へに行かなければならないので十一時まで寢る事にした。而しなかなか寢られない、國塚君は晝の疲れか口を開けて氣持ち好く寢て居る。僕の氣持ちとしてはいたずらをしないでは居られなかった。早速草を取ってきて鼻の中をこそばした。而しそれを拒んでか目を開かない。自分も疲れたか眠くなった。ローソクの火はぼうと明るくなった、と思ふと次第に暗くなって來た。ローソクは皆燃えてしまったらしい、誰か、さはいでゐる。ローソクを取り換へて居る様だ。それも夢の内に知らずに寢てしまった。しばらくして目をさますと時計は十一時を指してゐる。校友生の久我君は提灯の用意をして居る。置いて行かれては大変と跳び起きて國塚君を起した所が、ウウ―と起こした手をはらひのけて、大変な権幕、此れは大変と、其のまゝ、自分、池上、猫宮、本宿の諸君と校友生の諸君等五、六名、夜學校と書いた提灯を前に札幌向いて、進んでゆく、鉄道を越してからは人家がまばらで實に淋しい。僕は思はず軍歌を歌った。皆一緒になって合唱した。約三十分間くらい歌ひながら歩るいた。相当につかれた。歌の声はとうとう聞こえなくなった。見えないどうしたのであらう心配しながらホタルを取ったり、大聲でどなったり、ふらふらと行く、自動車がヘッドライトを光らせて通り過ぎる。

しばらく行くと提灯の火がちらついて見える。思はず大聲で歌いだして提灯をふる。

向こふでも感ずいたらしい、提灯を振ってゐる。皆急に元氣がついたらしい、入り乱れて走って來る。見る間に接近した。皆随分元氣である。そこで先生から飴玉をもらってなめながらテント村へと向かふ。其の頃國塚は後れて迎へにきたらしい、さっきの話をすると國塚君は「俺は何も知らなかった」と頭をかいてゐた。一行は元氣よくテントに着いた。人員を調べてから皆テントの中に入って寢る。實に總勢五十八名テントの中は一杯だ。皆キュウクツな思ひながら夢路をたどる。明くれば朝もやに山は包まれ、氣持ちよい朝であった。先づ顔をショッパイ水で洗ふ。全員そろってラジオ体操をする。それが終わってめいめい焚き火を焚いてあたりながら朝食をすませる。

朝は曇ってゐたが太陽は輝き好天氣になって來た。朝は寒いので誰も水に入る者はない。而し物好き二、三人は水に入ったらしい、ふるえながら火にあたってゐる。猫宮君も其の一人である、僕は山崎先生と舟を借りに行った。やっとの事で二舟借りる。

それに乘って普通隊を迎へに行く、あまりのんきに行ったものだから、皆行ってしまった後だった。とぼとぼと先生と二人で歩いて歸った。そこで一行は全員揃ひ樂しい海水浴が始まった。自分は水に入っても金槌である。しかたがないので舟に乘って遊んだ。浜で砂を山に積んだり、砂の中に体をうずめたりしまるで子供の様にむじゃきに時も忘れて遊んだ。遊び疲れてテントに歸る。そろそろ晝食の用意をしなければならない。自分は薪を拾って來た。炊事班長は飯盒をかけて御飯を炊いて居る。

 しばらく時間があるのでテントの横でキャッチボールをして遊びやがて十二時皆一緒に食事につく。それから二時までは皆自由である。我々はもう歸る仕度をしなければならない。先づ草原に腰をかけて浜を見渡すと實に澤山の人間模様がゐる。予定時間二時が來た、皆集まって來る。テントをたゝむ、荷車を借りて駅に運びチッキで出す。

 一行は駅に揃ひ汽車をまつ。プラットホームは人間様で一杯だ。我々は乘レナイのではないかと心配した。案の定客車に乘れず貨車に乘る事になった。中に入ると牢屋の中の様だ、此んな事も一生に又とない事であろう。よけいに印象にのこる物だ。

 無事札幌へ歸へることが出來た。實に樂しい海水浴であった。(十三・十)

(『樫の木』創刊号昭和十三年潤睦会発行から。)《写真51から58参照》

《これで終わりですが、本校から銭凾まで歩いてみたいと思い、その訓練として、ある時円山球場から星置の自宅まで歩いて帰ったことがあります。次の日から約一ヶ月まともに歩くことが出来ませんでした。当時の若者の力に感心いたしました。》