野を山を眞白に包んだ雪が溶けて、柔らかい日の光に青葉若葉の萌え出る頃になると、札幌でも親馬の後についてアドケない仔馬の町を歩く姿が見られる様になる。

暖かい春の日を待ち焦がれた様に、馬の仔は生れ落ちる。すくすくと延びる青葉を食って日一日と育つ。親馬は肥える。此の姿を見ると、私は急に、十勝の馬が慕はしくなる。

十勝の農村では幼駒の誕生を赤飯をたいて祝うと言ふ。彼等には家族の一員が増したのである。立派な御國軍馬として育て上げる光榮こそ彼等農民の誇りである。子供が畑へ入って、戰争ごっこでもしようものなら、青すじ立てゝおこる農夫も、仔馬が畑の中をかけまわるのを、微笑みつゝ眺めてゐる。親の乳を吸っては育ち、吸っては肥える。やがて忙しくなる母馬の耕作の後について仔馬まで畑や田を往復する様になる。暖かい太陽は次第に暑くなる。

焼け付く様な日の下で流れる様な汗をも拭はず馬は働く。

我々が十勝を訪れるのは丁度こんな頃である。昨年は七月末、今年は八月末である。始めて十勝を訪れて先ず感じたことは、十勝の農夫が澤山の馬を持ってゐることである。そして其の馬が必ず仔を持ってゐることである。聞けば其の澤山の馬は皆親子か姉妹である。

彼等は馬を以って畑を耕す。馬は糞という申し分のない肥料を田畑に施してくれる。畑の隅からは馬の牧草が栽培される。かくて人馬一体の農耕が開拓以來行なはれて來た。見事な有畜農業である。そして事変以來、彼等の農村からは、多くの名誉ある軍馬出征し戰線に赫々の武勲を建てゝゐる。北海道産馬のため萬丈の気を吐いてゐる。彼等農民は誇らしげに自分の愛馬の武勲を語るのである。彼等の馬の血統は競走馬程よくはない。併し競走馬よりよい軍馬であることを誇ってゐる。

農民の愛馬心は先に述べた通りである。家族の一員である。仔馬の誕生は必ず赤飯で祝ふ。

馬の体のためには無理な工作をしない。そのために馬の人馴れは實によい。仔馬迄が我々に邪れついて來る。我々の十勝へ行っての楽しみは、此の仔馬と一緒に遊ぶことにある。丁度帶廣から我々が川西村清川に乘り込んだのは或日の夕方であった。宿について靴の紐を解くか解かぬ頃に一農家から使者が來た。親馬が危ないから旅でお疲れでせうが一寸見ては呉れないかと言ふのである。我々も農家の實状を知ってゐたのです。その足で農家へと急いだ。雨上がりのぬかる道を提灯をたよりに歩いた。ランプの光の下で一通りの診察を濟ませた。どうも牧草中毒らしい。持ち合わせの注射を打ち投藥をした後の飼料のことを傳へて厩を出たのは已に八時を過ぎてゐた。主人は腰を折って禮を述べ、使者は燕麦の畑道を宿迄見送って呉れた。幸ひ翌朝迄には元氣も恢復して午後には主人が馬を連れて我々の検査場迄來て禮を述べた。仔馬も親の恢復を喜ぶ如く私の腕に擦り寄って來た。

病後の手當が大切である。注射一本打って休養させる様に言って早くに歸した。農村には兎角頑固な迷信があるものであるが此の農村丈は、我々の科學的研究に從順に服從して立派な馬を作ってくれる。『馬の飼料の榮養化学的研究』と題した我々の研究も此の十勝の農村を例として近く生まれ出るであらう。

又やがて稔りの秋の多忙を過ごすと農村は再び雪の中に閉じ込められる。耕作は一切休み、家内の副業へ移っていく、馬は雪の牧場へと放される。十勝の冬は寒い。零下二十度、三十度と寒暖計は下る。併し駿馬は此の寒さの中に吹雪と戰ひつゝ雪の下の熊笹を求めて來ん春を待ちわびる。吹雪との戰、是が北海道馬を優良軍馬たらしめた所以である。農民の愛馬魂、吹雪との鍛錬、これこそ現在の北海道馬の魂の源であらう。そうして彼等をして欣然大東亞建設戰に参加せしめたものであらう。私は崇高な氣持ちを懐いて十勝の馬に別れを告げ、再來を約して狩勝峠を越えたのでした。

 

 

研究追記九 文盲への宣言

「昭和十一年三月二十二日、午前十一時より、田中(新二)、志賀(秀正)、笠間(尚武)、及び余(津中)の四人は文盲への宣言の旗下にビラ一千枚を札幌市にまく。経路は大体、本校→豊平→苗穂→北一條→四丁目→狸小路→南二條魚市場→三等小路?→南四條電車通り→本校 畫期的啓蒙運動として注目に値せん 以上津中」(庶務日誌昭和十から十二年)

 《これは昭和十年度のことです。更にこの部分に》「庶務の小島悦吉は前日、農林省受験のため札幌を出発し、教務の石崎學も同列車で歸郷。以上津中」《それで四人でビラまきに出る。このコースを歩いてみました。約二時間かかりました。若い人なら一時間半くらいでこのコースを廻ることができそうだと思いました。三等小路?は地元の人に聞いてみましたが分かりませんでした。当時でも「?」がついています。前後を考えるとおそらく二本の小路うちの一つでしょう。》

 《なおビラは遠友夜学校を語るとき必ずといっていいくらい出てきますので次に載せます。庶務日誌には糊ではってあります。とても薄い紙です。》