そんなことが思い出されますし、しかしいろいろ問題は御座いますが、札幌市に住んでおりまして、私は昭和六年から内地勤めになっているものですから、生れは北海道ですけれども、道産子ですけれども、そういうようなわけで皆さん方にお世話になったことも多々あると思うのです。この席を借りて御礼申し上げます。今後ともよろしくお願い致します」(拍手)《尚、関連記事として『思い出』p.190~192のもとになったものです》

 司会「それでは早速乾杯に移りたいところで御座いますがもう一つお許し頂きたいと思います。皆様方のことをご紹介いたします。恐れ入りますが一歩前へおでになってお会釈していただきますようお願い致します。最初に関係者の方で御座います。広重学長様(拍手)、牧野幹男先生お出ででございましょうか。安藤鉄夫先生(拍手)、永沢悟先生、先ほどお見えになっておりましたけれども、北星学園の理事長の永沢悟先生。次にまいります。

遊佐孝五先生、酪農学園理事長の遊佐先生、先ほどお見えになっておりました。次にご講演を賜りました佐藤先生ご夫妻で御座います(拍手)、有難う御座います。次に山本玉樹先生(拍手)、遠友塾の関係で中川厚雄先生ほか二名(拍手)、有難う御座います。次に札幌市長の桂信男さんに代わって札幌市民局長の松崎誠先生(拍手)、高倉とき様(拍手)、次にお世話いただきました関美智子先生、次に夜学校の元教師の方、恐縮で御座います、順序遅れまして。髙井泉先生(拍手)次に重ねて恐縮ですが石塚喜明先生(拍手)静岡からおいで頂いております。生物十三年の高橋義男先生(拍手)、奥様おたち下さいませ(拍手)、有難う御座います。それからはるか四国の徳島からお出で頂きました小島悦吉先生(拍手)、有難う御座います。また副会長でも御座いますが、時任正夫先生(拍手)、それから畜産協賛連の広瀬由常先生(拍手)林学4年の谷口信一先生、お見えになりませんか。

鈴木武政先生(拍手)、奥様どうぞ、東京からわざわざお出で頂きました。それから農芸化学二十年の福山勝彦先生(拍手)、農経十九年の牧野恒夫先生(拍手)、農経十九年の佐藤正夫先生、お出でになりませんか。次に川崎からお見え頂きました新荘成太郎先生(拍手)、有難う御座います。次に東京からお見え頂きました村岡五郎先生の奥様(拍手)、どうも有り難う御座います。次に江別からお見え頂きました沼田芳明先生(拍手)、有難う御座います。また先ほどの平塚先生はお話いたしましたので失礼したいと思います。それから昭和六年で御座いますか須田政美先生の奥様お出でで御座いましょうか(拍手)、本当に有難う御座います(拍手)、恐れ入ります。次に高松三守様のご令嬢、お見えで御座いましょうか、山本玉樹先生の奥様で御座います(拍手)。遅れました、いよいよ今日の一番のお客様で御座います。卒業生のあるいは生徒の皆さんで御座いますが、白石区の伊藤義明さん(拍手)、中央区の上野教男さん、お見えで御座いませんか。それから厚別区の玉田ヤエさん(拍手)、次の白石区の後藤芳子さん(拍手)、次に白石区米里の田中正治さん(拍手)、次に豊平区の土門サカエさん(拍手)、次に南区の鐘ヶ江武志様(拍手)、有難う御座います。次に東京からお出で頂きました原田裕子様(拍手)、次に東京からお出で頂きまして先ほどお話頂きました中村幹生様(拍手)、豊平区の鈴木みさを様(拍手)、次に手稲区の松井實様(拍手)、次に北区にお住まいの市川正子様、今日はお見えで御座いませんでした。それから中央区の小寺アキさんのお嬢さんであります荻原美和さん(拍手)、中央区の先ほどお話しにも出ておりました伊藤さんの奥様またお嬢様、ご子息三人お立ちくださいませ(拍手)、有難う御座います。それから佐藤三男さん、お帰りになりました。中央区の山崎健作さん(拍手)、以上もちましてこの席にお出で頂きました。尚、ご案内が遅れておりまして失礼致しましたけれども、農学部部長でもありこの会の副会長で御座います水谷純也先生忘れていまして失礼致しました(拍手)。それでは早速乾杯の準備をして頂きまして、今最後にご紹介いたしました水谷農学部長に乾杯の音頭をとって頂きたいと思います、どうも失礼致しましたがお許しくださいませ。後ほどまた一言お話を頂くことに致しますが、取り敢えず皆様方と一緒に歓を尽くすことにさせて頂きたいと存じます。尚、札幌市からはご承知のように遠友夜学校の跡地の展示室を本当に立派に整備していただいたことを、また今日の催し等につきましても格別にご尽力を賜ったことご報告致します。後程ご挨拶を頂きます」この後は宴会になり、あちこちの話し声が聞かれます。私は時任先生とお話することが出来ました。

 

 

研究追記二 札幌遠友夜学校記念室の案内テープ 

記念室に入りますと係りの人がこのテープのスイッチを入れてくれます。その内容を次に載せます。

 (沢なすこの世の・・・バックミュージックの中で)

 遠友夜学校記念室へようこそお越しくださいました。遠友夜学校は若き日の新渡戸稲造が中心となって学校に行きたくても行けない子供達や社会人のために、夜の時間を割いて、男女の区別無く、無料で勉強を教えた学校でした。遠友夜学校の遠友には二つの思いが込められています。一つは新渡戸稲造の長年の夢が萬里子夫人に遠くアメリカから届いた遺産で実現したこと。そしてもう一つは論語の「友あり、遠方より来る。また楽しからずや」からでした。遠友夜学校の教育の目標は「学問より実行」を目指して、学んだことを本当に身につけることに力を注ぎました。そしてまたリンカーンに学べを合言葉に思いやりをもって行動できる人づくりを進めました。

 このような教育を支えたものは新渡戸稲造の気高い精神に共鳴した今の北大の学生・教師たちでした。彼らは先輩から後輩へ代々この理想を受け継ぎ希望の灯を点し続けました。

遠友夜学校は昭和十九年にその歴史を閉じました。(バックミュージックはいる)しかし、今も尚、遠友夜学校の精神が時代に捧げた人間教育の優れた模範として札幌の歴史に大きな一ページを記しています。