(11) 澤合會報第三十三号(昭和十一年二月五日印刷・発行 金木猪三)

 《消息欄に一月七日澤合會例会を夜六時狸小路明菓三階ホールに開く。十五名の顔見ゆ。                                十二月二十六日忠パパとなる。母子とも健全。男の子。忠芳(タダヨシ)と命名。

「身辺近況」と題して髙倉先生の寄稿文あり。一部紹介すると、》

「・・・それでも皆が元気で、正しい道を歩って居てくれるのは何よりうれしい。殊に忠、三毛、山下諸君の変化は他の人々の学ぶべきもの・・・」

《この號の最後に忠氏の寄稿文一つ。》

 

 「酔眼点描」                       多田志

 この頃街を歩いていると、おでんとか、てんぷらとか書いてある軒燈やのれんが、いやに眼につくやうになった。これも私自身がお酒を口にする機会が多くなったためであるのかもしれない。と、書けばたいへんなノンベイでゞもあるかのやうに聞こえるでせうが、去る日某所で友と二人で今年になってはじめておさけを口にしました。そのときナダ(?)の銘酒“惣花”とかのお銚子を二人で一本たほしたまでは意気(?)すざまじかったが、二本目は互いに猪口に一つ移したゞけでグロッキー。とは、かわいいお酒のみでせう。カメやザル級の人達には、おそらく街中の店といふ店が、アルコール分を賣る店に見えやしないだらうかと思っているのですがネ。

 とにかく、需要と供給の鉄則にしたがひ店が多くなったことはたしかのやうで、ヨリおさけを口にする人達が多くなったことにもなるのでせう。私はお酒を召し上がった夜はマンジリともして寢付けないのです。召し上がる量が少ないか多いかだからだといはれたこともあるのですが、いつだってグッスリと寢ついたことがないのです。東の空が白々と白みかける頃になって、やっとウツラウツラ眠れるだけです。おさけを召し上がってグッスリ正体もなく翌朝まで眠れる人がウラヤマしい。

私にはたゞ反省だけがあるばかりです。胸がムカつくか、頭がいやに冴え冴えとするかどっちかです。その度に、もう二度とお酒は呑むまいと決心するのですがネ・・・。

 “親に似ぬ子は鬼子”だといはれてゐますが、私の父は斗酒なほ辞せぬザル級でした。一昨年ついに酒魔に魅せられてか、一時二ヶ月ほども口が利けなくなりました。只今でも左足がいささかひきずり気味です。それに酒量も殆どなくなりました。お酒の好きな父が、お酒のためにいづれは生命を断たなければならないのでせうけれど長命して頂きたいと願ふ子は鬼子でせうか。好きなお酒を成るべく呑ませまいとして、・・・。

 あゝ今夜はすっかりメイテイしたやうです。お酒に酔ったとき、眞直ぐに歩けないものですねネ。

千鳥足は・・・。今夜こそ正体もなく朝までグッスリと眠れるかもしれんデス。音もなく降りそゝぐ雪が、灼けつくやうな頬にあたる感覚はなんともいへぬ味はひがあるデスナ。唄でも唄ひませうか。

  “アナータ

  なんだ!

  空は青空

  二人は若い!”