(10)澤合會報第三十二号(昭和十年十二月二十七日印刷・発行 金木猪三)

 《和田幹枝さんの「身辺雑記」のはじめに》“筆者の旧姓は中村、此の度結婚されたことは御承知の筈。会誌復活の報を傳えしに快く寄稿してくださる。感謝す。・・・忠”《とある。》

 

 過去帳から-昭和九年度―から忠氏関連を取り出します。

 二月三日 夜、吉田私宅で例会を開く。集ひし面々十人のなかに忠あり。

 五月六日 初ピクニックには、思ひ出多き小別沢の宝耒橋上流へ。参加した九人のうちの一人に忠。

 七月二十六日 夜、耒札中の若木を迎へて千秋庵で歓迎のパーテーを開く十三人のメンバーの一人に忠。

 八月十九日 空沼岳登山。五名の一人に忠。

 九月十日 後藤函館支局へ出向ふためパーテーを千秋庵で開く。参加者十一人。

 九月十二日 夜行で後藤凾館へ立つ。

 十一月三日 吉田情遊に凾館へ。山崎、後藤両氏を訪ね云々。

過去帳から-昭和十年度―から忠氏関連を取り出します。

 一月一日 後藤氏、凾館より三ヶ月ぶりに帰札。

 一月二十六日 夜、千秋庵で例会を開く。後藤含む参加者九人。

 四月十九日 後藤氏宅で氏の結婚披露宴開かれ十二人のメンバー招かれる。

 五月十五日 ピクニック。会する者、後藤夫妻を含めて八人。小別沢宝耒橋上流で。

 十一月五日 例会。夜六時半から千秋庵で。後藤忠含めて十三人集ふ。

 十二月二十日 夜、六時半よりミマス裏手のちんやで忘年会を開く。後藤を含めて九人参加。

 《この號のお便り欄に三通(吉田春江氏、新井場清氏、若木氏)、全て忠さん宛ての私信、》「原稿不足のため無断で会報に載せた。三氏にお許しを乞ひます。田多志」《とある。》